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Brexitが英国にもたらすもの ―インフレリスクに警戒―

2017年6月号

金融ITイノベーション研究部 主任研究員 石川純子

移民問題は英国民がEU離脱を選んだ理由の一つだが、実際には移民が英国の労働市場で貢献してきた部分もある。
EU離脱は、英国内の労働市場逼迫とインフレ昂進を引き起こすリスクが高い。景気循環のみならず、こうした構造変化に起因するインフレ圧力に対して、BOEはどう向き合っていくのか。金融政策運営の先行きが注視される。

英国を襲うインフレリスク

 3月29日。メイ英首相はEU離脱を通告する書簡を提出し、2年間の離脱交渉のカウントダウンが始まった。6月の総選挙動向も気になるところだが、今回はBrexitが英国の物価と労働市場にもたらすリスクに注目する。

 英国の足もとのインフレ率は2.3%と、2か月連続で英中銀、イングランド銀行(BOE)の物価目標(2%)を上回った。要因の一つは昨年の原油価格下落の影響が剥落したことだが、注目すべきはすでにポンド安の影響が出てきている点だ。自国通貨安は輸入物価の上昇という形を通じて国内物価のインフレ圧力になる。一般的には長期価格契約の存在やサプライチェーンの長さを考慮すると、為替変動のインフレ率への影響が出尽くすには数年かかるといわれるので、英国では今後数年にわたってインフレ圧力がかかり続けることが予想される。今回はこれに加え、今後EUを離脱すると労働市場で人手不足が生じ生産性も低下して、供給ショックを通じた構造的なインフレ圧力が加わっていくリスクに警鐘をならしたい。

英国民の不満=増え続けるEU(中東欧)からの移民

 まずBrexitを決断させた、英国民の不満を確認しておこう。欧州単一市場の謳い文句は「物・サービス・資本・人の自由な移動」だ。「国を開放し資本移動の柔軟性を高めることは経済合理性を高める」という考え方は、国際的に広く受容され推進されてきたが、このところ米国のトランプ大統領の主張にしろ、欧州で広がりを見せる反EUの主張にしろ、ナショナリズムの台頭が目につく。

 英国では「人」の移動=「移民」への不満がこの流れを後押しした。英国のここ10年の移民純流入数は右肩上がりだが、増えているのはEU出身、特に2004年にEUに加盟したポーランドやハンガリー等の中東欧8か国と、14年にEU域内就労が可能となったブルガリア・ルーマニアの2か国の出身者だ。彼らの特徴は仕事を求めて移住してきている点で(これまでの移民は「就学」目的が多かった)、英国内では、ここ数年で急増した「中東欧出身」の「労働者」に対して「英国民の仕事を奪っている」という批判が聞かれるようになった。

 折しも、10年に発足したキャメロン政権下で導入された緊縮財政で、税金が引き上げられ、年金受給年齢も引き上げられ、痛みを伴う財政再建に人々が取り組んでいる最中であり、英国経済も決して楽な状況にあったわけではない。高齢者を中心に「働かざるを得ない」状況に陥る中で、ある意味“ライバル”となった移民労働者への風当たりが強まった、という事情もあっただろう。

労働市場における移民の貢献~インフレ圧力の抑制

 しかし、経済全体でみたとき、彼らは決して一方的に非難されるべき対象ではなく、英国の労働市場で一定の貢献を果たしてきた功労者でもあるということを、英国民は認識すべきだろう。すなわち、①彼ら(=中東欧からの移民)が低賃金労働者として労働市場に大量に流入したことによって、②賃金の高騰を引き起こすことなく人々の需要を満たす財・サービスを提供して経済を成長させてきたし、③驚くべきことに彼らのおかげで生産性が改善したという研究結果もある。生産性が改善すると、インフレ率が低下するという関係が成り立つので、結果として中東欧から流入してきた移民は、労働市場を通じてインフレ圧力を抑制する働きをしてきたといえる。

 もう少し具体的に見てみよう。まず、①のポイントは「低賃金」労働者ということだ。移民比率が高い産業として代表的なのは製造業単純作業や清掃業などである。こうした産業の平均賃金はそもそも経済全体から見れば低いが、加えて、移民は相対的に若い労働力であることや、自国での所得水準が低かったということもあってか、英国民平均と比べても、低い賃金で就労している(※1)。

 続いて②では「大量かつ多様な」労働供給が行われたことが重要だ。労働者のプールが拡大し雇用のミスマッチが解消されたため、生産活動が拡大した。最近日本で一部サービス業の人手不足によるサービス停止や値上げの報道を目にするが、英国では移民によってこうした事態が回避されてきたと考えれば分かりやすいだろう。サービス業は英国経済の中心産業だが、流通やヘルスケア等の労働集約型産業においても、移民が流入したことで生産量の増加と労働逼迫の緩和が同時に達成されている。

 最後の③「生産性」の改善は議論の尽きない論点だ。今日すべての先進国が抱える悩みといっても過言ではあるまい。製造業のような資本集約的な産業では、設備稼働率の引き上げやR&D投資を増やすといった方法が有効と考えられるが、経済発展と共に需要の高まりやすい労働集約型サービス業の場合は難しい。そんな中、英国の場合は労働集約型産業でも移民比率が高いほど生産性が改善しているという研究結果が発表された。理由として、英国は移民受入れ要件が厳しいので、入国時点で選抜をくぐり抜けた質の高い労働者が入っているため、という見方や、企業内における労働者の多様性がイノベーションを生み出しやすい環境を作るため、という見方もある。だが、単純に考えれば、労働集約型産業の生産性の改善は「同スキル・低賃金の労働者」や「同賃金・高スキルの労働者」を雇用すれば達成できるはずで、それにはよりマッチングを効率的に行えるような技術革新が起きるか、純粋に労働者のプールが増大するようなチャンスを手にする必要がある。英国の場合は「EU拡大」というチャンスを捉え、中東欧からの移民が主に前者(「同スキル・低賃金の労働者」)として生産性の改善をもたらしたということだろう(※2)。

試されるBOEの政策対応~中央銀行の使命とは~

 こうした移民の影響を振り返ると、EU離脱はその逆回転を引き起こし得ることに気付くだろう。特に近年、移民労働力への依存度が高まってきた労働集約型産業では、不足する労働力を英国民によって補う必要に迫られ、生産性の低下とインフレ圧力が強まるリスクが高い(※3)。

 ここで改めて問いたいのが中央銀行の使命だ。景気変動による物価変動は中銀が対処すべきでありコントロールの効果も期待できるが、今回のような構造的要因による物価変動を中銀はコントロールできるのか、あるいはすべきなのか。これはBOEだけでなく、長くインフレ目標未達に苦しんでいる日本銀行を含め、多くの中央銀行が考えるべき問いであるようにみえる。その意味でも、今後のBOEの金融政策運営が注目される。

1) もっとも、西欧出身と中東欧出身の移民では就労カテゴリーが大きく異なり、前者が英国民と比較して高賃金のカテゴリー、後者が相対的に低賃金のカテゴリーで多く就労しているとされる。また、セクター別にみても、前者が金融・保険業で多く就労しているのに対し、後者は流通・ホテル・レストラン業や製造業、建設業での就労割合が高く、就労セクターの違いを確認できる。
2) 特にサービス業では労働コスト(賃金)が上昇するとサービス小売価格(物価)が上昇する関係がみられる。
3) あるいは、日本のように、労働力を補いきれずに縮小均衡に陥るというストーリーもあろう。なお、移民流入の停止は、潜在成長率の低下にも寄与する。潜在成長率を資本、労働、TFPに分解すると、94年以降、労働投入は一貫して押上げに寄与してきたが、これは移民純流入が増加超で推移してきた期間と一致する。また、英国の出生率は1.5 ~ 2.0で推移しているが、母親に占める移民の割合は急激に上昇しており、15年には25%を超えている。

※組織名、職名は掲載当時のものです。

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Writer’s Profile

石川純子Junko Ishikawa

金融イノベーション研究部
主任研究員
専門:英国をはじめとする欧州の金融経済

注目ワード : ブレグジット