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イギリスの国民投票が金融市場にもたらしたものとは

2016年9月号

未来創発センター戦略企画室 上級エコノミスト 佐々木雅也

イギリスのEUからの離脱という国民投票の結果は、懸念されたほどの混乱を金融市場にもたらすことはなかった。だが、長期的に見れば、世界の金融市場を不安定化させる火種をむしろ大きくしてしまっている。

一時的なものに終わった金融市場の混乱

 世界から注目を集めた6月23日のイギリスの国民投票は、同国のEUからの離脱(Brexit)という判断が過半数を占めた。投票結果が判明する直前の金融市場は、イギリス国民は最終的に“賢明な”判断をするに違いないと高をくくっていたこともあり(※1)、投票結果が明らかになると市場は大荒れの展開となった。

 ところが、その嵐が過ぎ去った後の7月の金融市場はまるで台風一過のように、比較的穏やかな状況へと戻ってしまった。例えば、米ダウ平均は同月に史上最高値をつけるところにまで回復を遂げており、震源地であるイギリスの代表的な株価指数FTSE100は、Brexitによる英ポンド安を背景に大幅に値を伸ばした。

 また、世界の金融市場がBrexitによって全面的なリスクオフになったのなら、相対的にリスクが高いとされる新興国の通貨が大きく売られるはずだが、今回のBrexitの騒動ではそういった現象は見られなかった(※2)。このように、Brexitがその直後の金融市場にとって軽いショックで済んだ理由はどこにあるのだろうか。

 冷静に考えてみれば分かることだが、同じ危機でも、世界同時不況をもたらした2008年9月のリーマン・ショックと今回のBrexitでは、その中身がまるで違う。

 前者は、一つの金融機関が破綻したことによって起きた金融システム全体の危機である。この場合は、金融機関の間の取引が相互不信によって一気に収縮していき、このことが実体経済にも強い押し下げ圧力をもたらす。さらに、この下押し圧力は、中央銀行による十分な資金供給や政府による公的資本の注入などが行われて金融機関間の相互不信が収まるまではいつまでも続いてしまう極めて厄介なものである。

 一方、今回のイギリスのEUからの離脱という話はEU政治の危機であり、金融の危機ではない。だから、Brexitが何かの拍子で金融機関の相互不信の問題などに発展していかない限りは(※3)、震源地であるイギリスのポンドこそBrexit後の同国経済を見据えて大幅に値を崩すものの、それ以外の金融市場では一時的なショックで物事が終わってしまうはずである。

Brexitによって米利上げの先送り期待が高まる

 そして、Brexitの金融市場へのショックが一時的だったもう一つの理由は、Brexitによって、アメリカの利上げの先送り期待が一段と高まってしまったことにある。

 アメリカの中央銀行であるFRBが金融政策を正常化させようとし始めた2013年以降、新興国の通貨は一貫して資本流出やそれに伴う通貨安の圧力に悩まされ続けてきた。例えば、昨年12月にFRBがようやく1回目の利上げを成功させたときには、通貨の安定のためにメキシコなどが追随して利上げを行っている。このように、特に昨今の新興国の為替レートや資本移動にとって、基軸通貨国であるアメリカの金融政策の動向は半ば表裏一体の関係になっている。

 だとすれば、今回の騒動で新興国の為替レートが大幅な通貨安にならなかったのは、BrexitでFRBは利上げをさらに先送りし、金融市場も大きくは混乱しないという、自分達にとって最も都合の良い解釈を市場参加者たちがしてしまったからだと推察される。

 現に、FRBは2013年から金融政策の正常化を進めていくなかで、利上げなどを市場に意識させておきながら、金融市場が混乱した(あるいは混乱する)ことを嫌がって結局は思いとどまった“実績”がいくつも存在する。最近でも、FRBは昨年の9月に、人民元の切り下げに端を発する市場の混乱を一因に挙げて、利上げの判断を遅らせている。今回のBrexitの場合でも、国民投票直前の6月の利上げを市場に意識させておきながら、実際には、Brexitが起きて市場が混乱するリスクを嫌ったことが、利上げを延期する要因の一つになっている。これでは、Brexitで世界の経済や金融市場が不安定になりそうであれば、FRBが近々、利上げなどできるはずがないと市場が勝手に決め込んでも何ら不思議ではない。

金融システムの不安定化を長期的にはむしろ助長

 一方、新興国側にとっては、警戒感だけが先行してしまった利上げの時期をアメリカが遅らせるほど、自国に向かう資本流出や通貨安の圧力がその間だけ弱まるので、自国の経済を支えるための金融緩和の余地が広がることになる。実際、マレーシアはBrexit後の7月13日に7年5ヶ月ぶりに利下げを行っている。

 こうした動きは、短期的には新興国の経済を下支えすることにつながるかもしれない。しかし新興国では、アジアを中心に不動産価格の上昇が続いているだけでなく、非金融民間部門の債務残高がリーマン・ショック後に大幅に拡大するなど、将来において、金融システムが不安定化しかねない火種が燻っている。こうした国々で不必要な低金利政策や金融緩和が続いてしまうと、金融政策を転換して引き締めに向かい始めた時に不良債権となりうる潜在的な病巣が必要以上に大きくなってしまう。

 その一方で、アメリカの失業率は4%台に突入し、賃金の上昇圧力も緩やかながら高まってきている。FRBは英国民投票後に初めて開催された7月27日のFOMC(連邦公開市場委員会)でも利上げを見送ったが、その声明のなかでは、Brexitによる金融市場の混乱が軽微だったことなどから「景気の見通しに対する短期的なリスクは縮減された」との一文を入れ、先々の利上げに向けた地ならしを再び始めている。それでも、ユーロ圏での不良債権問題など、金融市場の不安定化要因が数多あるなかでは、FRBが今後も自国外の要因で利上げを見送る可能性は十分に考えられる。

 しかし、自国内のインフレ圧力が徐々に高まってきている時に、外的な要因で利上げの先送りを続けてしまうと国内のインフレ圧力がさらに高まり、最終的には、FRBが物価上昇を後追いする形で利上げに追い込まれてしまうケースも否定できない。その場合は、これまでの利上げペースよりかはかなり早いものとなるだろう。

 そうした急ピッチのアメリカの利上げに、アジアをはじめとする新興国の経済は果たして耐えられるのだろうか。もしそれが不良債権問題など、経済や金融市場を大きく混乱させかねない地雷があちこちに埋まっている場合ならなおさらだ。

 こうしてみると、Brexitはむしろ金融市場の長期的な振幅を大きくしてしまった可能性が高いように思える。

1) 国民投票直前にはEU残留との見方が優勢になり、ドル円相場は一時106円台まで円安が進んだ。
2) 米ドルの名目実効為替レートが、投票が行われた6月23日から20営業日(約1ヶ月)の間にどのように変化したかを見てみると、英ポンドやユーロ、日本円などの主要通貨から構成されるメジャー・インデックスは投票日の値と比べて3.74%上昇(=ドル高・他通貨安)したが、新興国を中心に構成されるOITPインデックスは同期間に0.96%しか上昇(=新興国通貨安)しなかった。
それどころか、この20営業日の間にOITPインデックスが最も上昇したのは国民投票から2営業日後の2.16%上昇時であり、そこから見れば、OITPインデックスはこの約1ヶ月間はわずかながらも新興国通貨高のトレンドにあった。
例外の一つは中国人民元である。同通貨のコントロールは通貨バスケットで見た人民元の価値を守ることに主眼が置かれており、今回のように対英ポンドで突然の人民元高が起きると、対米ドルなどで人民元安が進むことを容認してバランスを取っている可能性がある。
3) 今回のBrexitの場合は、事前に投票の日程が分かっていた上に、残留派と離脱派が最後までデッドヒートを演じていたので、本当にBrexitになりかねないという恐怖感も(投票直前の妙に楽観的なムードを除けば)高まっていた。そのため、各国の中央銀行は大量の資金供給などで金融市場の動揺を抑える措置を取った。このことも、今回の騒動が一時的なショックで収まった要因の一つだと言える。

※組織名、職名は掲載当時のものです。

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Writer’s Profile

佐々木雅也Masaya Sasaki

未来創発センター戦略企画室
上級エコノミスト
専門:マクロ経済分析

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