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心を支配するもの

2016年3月号

ホールセールソリューション企画部 上級研究員 外園康智

昨日起きた出来事を鮮明に思い出すことはできるだろうか?人間の記憶は曖昧だ。それは、忘れたいことがある、覚えられる容量に限界がある、といったことが理由ではない。脳科学では、現時点の情報を完璧に取り込むと、同一性を誤ることが原因と考えられている。

例えば、他人を服から顔色、背景まで記憶してしまうと、次に別の場所で会って服が違っただけで同一人物と認識できなくなる。脳は、“生きていく”上で必要な特徴ある情報だけ抽出し、抽象化して記憶するのだ。

 記憶は、単純な生き物ほど正確であり、人間は、曖昧さ(=抽象度)が高い。この抽象化作業を助ける手段が“言葉”である。脳内では、多くの認識・経験や感覚が分類・まとめられて、生死、愛、喜怒哀楽といった言葉が生み出された。これらは自然界には存在しない概念であり、複数を組合せることで現実にない事象を想像でき、未来を予測する力となった。極端に言えば、記憶メカニズムの一種のエラーが創造性を生むと言える。

 これらの活動を総じて“心”と呼ぶことができる。心の中で言葉になって現れたものが“意識”だが、感情は言葉では表わせない状態も多くある。心には意識と無意識もあり、その境界は曖昧だ。

 そして人間の行動の多くは“無意識”下でなされる。従来は、悲しいという意識が先に発生し、命令が身体に伝わり、涙が流れると考えられていた。しかし、感情と涙は脳の別々の部位で発生し、直接は関係ないことが分かっている。つまり、意識による思考結果が行動に繋がっているのではなく、生存に関わる行動や身体の状態が心を作り出し、動かしているのだ。

 ところで、意識も無意識も身体への命令も、物理的には脳の活動である。脳は1000億個の神経細胞と1000兆個のシナプスで構成される。神経細胞の1つ1つは記憶や命令に対応するが、互いが結びつくN×Nの回路は、数学の巨大な行列だ。2つのことが同時に生じた場合、記憶(=相関係数)が強化される(※1)。ところが、1つの記憶が他の記憶たちと整合しないことは、よく発生する。つまり記憶が曖昧な状態だ。この時に脳は、何が正しいか判断するために、記憶を補足し、推理をするのだが、この機構は行列演算に似ている。

 このように、心や記憶の曖昧さは神経回路の可塑性・柔軟性からきている。心を“よく”するには、意識による思考の積上げでなく、環境や行動に伴う身体からの情報の改善が重要だ。ちなみに、他者になぜ好きなのか、理路整然と説明しても、伝わらないどころか、受けが悪いことさえある。心は難しいが、他者の心はさらに難しい。。

1) ヘブの法則と呼ばれる。

※組織名、職名は掲載当時のものです。

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Writer’s Profile

外園康智Yasunori Hokazono

金融デジタル企画一部
上級研究員

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