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思考の限界を思考する

2015年11月号

外園康智

これは、1918年に発表されたウィトゲンシュタインの“論理哲学論考(※1)”のほんの一部である。

1 世界は成立していることがらの全体である
1.1 世界は事実の総体であり、ものの総体でない
1.13 論理空間の中の諸事実が世界である
2.1 事態とは諸対象(≒要素概念)の結合である
3.1 ある事態が思考可能とは事態を作れること
4 思考とは有意味な命題である
4.003 哲学命題は間違いでなく、無意味なだけだ
・・・
7 語りえぬものには沈黙せねばならない

 一風変わった形式の哲学書は、言語と論理学により世界を捉える枠組みを作り、思考の限界を示すことが目的だ。簡略化して言うと、世界は要素に分解される。例えば{赤い、花、咲く、きれい、見る、考える}が全要素だとすると、この要素の組合せで表現される命題(例 赤い花がさく)の総体を論理空間とする。この命題たちの中でも現実世界と合致するのが事実と呼ばれ、その総体が“世界”である。命題は合致する事実の有無で真偽が決まる。

 そして、そもそも論理空間の命題として認められるのは、有意味なものだけだ。例えば「きれい花は考える」といった日常的に意味不明な文は、命題ではない。ただし、この文から美的な感性により何らかの意味が生まれる可能性は否定しない。つまり、個々人により論理空間は異なってくる。

 論理空間と世界を比較すると、当然前者の方が広いが、同時に、言語を組合せる行為とその表現文自体は世界で生じる一つの事実であるため、世界が論理空間を含んでいるとも言える。これは、ねじれた関係だ。思考は言語(要素の組合わせ)以上のことが表現できない制約から、思考の限界は、言語の限界と一致しており、思考の内側からしか規定できないのだ。

 ウィトゲンシュタインの哲学は至って数理的である。これは彼の時代が論理学の黎明期で、数学や論理学自体の体系整備、完全性・無矛盾性の証明が大きな問題だったことが影響している。

 ちなみに金融市場は金融商品を要素として、各主体のニーズに合致した将来キャッシュフローを結合(=取引)により作りだす体系と捉えることができる。どんなニーズにも対応できることを、市場が完備であるといい、金融業の社会的使命の一つである。

 ところで、ウィトゲンシュタイン自身は論考の枠組みにおさまらない現象に気づき、自らの哲学の乗越えを開始する。その中心概念は言語ゲームと呼ばれるが、このドラマチックな展開の語りはまた後日としよう。。

1) 論理哲学論考が扱う領域は、哲学そのものや言語、倫理、数学など広大で、それぞれに深い洞察がある。ここでの解説は一つの流れと解釈に過ぎない。

※組織名、職名は掲載当時のものです。

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Writer’s Profile

外園康智Yasunori Hokazono

金融デジタル企画一部
上級研究員

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