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中央銀行の「男気」

2013年9月号

金融ITイノベーション研究部 部長 井上哲也

FRBによる金融政策の「正常化」が注目を集めるのは、金融市場への影響だけでなく、前提となる米国労働市場の改善に対する見方が分かれるからである。ただ、長い目で見ると、この議論は中央銀行が金融政策だけでは実現しえない目標を掲げていることの副作用という面もある。

「正常化」の戦略

 米国の中央銀行であるFRB(連邦準備制度理事会)のバーナンキ議長による5月の議会証言以降、金融緩和の見直しを巡る議論が活発になっている。当初は、資産買入れ―昨年から実施してきたいわゆる「QE3」―をいつからどう縮小するかに焦点が当たったが、ここへ来て、その先にあるゼロ金利政策の解除も注目を集め始めた。

 これは、市場が常に先を読んで動くためだけではない。FRBが金融政策を決定する場であるFOMC(連邦市場操作委員会)の5月の議事概要は、資産買入れの停止から、ゼロ金利解除、FRBによる保有資産の圧縮まで、金融政策の「正常化」を一貫したプロセスと位置付ける戦略がメンバーによって合意されていることを明らかにした。また、6月にはFOMCメンバーの一部が2014年に失業率が6.5%に低下するとの予想を示した。FRBは失業率が6.5%に達するまでゼロ金利政策を維持すると約束してきただけに、最初の利上げが来年に繰り上がるのではないかとの思惑まで呼ぶことになった訳である。

「正常化」に対する批判と反論

 FRBによる「QE3」の縮小やゼロ金利政策の解除には、様々な懸念が表明されている。米国を中心とする市場からは、幅広い資産価格を下落させ、米国の景気回復を失速させることへの心配が聞かれる。また、中国などの新興国には、先に開催されたG20蔵相・中央銀行総裁会議の場を含め、米国金利上昇によって国際資本フローが新興国から米国へ回帰し、景気回復を遅らせたり、金融システムを不安定化させたりすることへの不安がみられる。

 FRBも、特に資産買入れに関しては、国内資産価格の上昇や、国際分散投資を通じたドル安の効果を認めていただけに、批判に耳を貸すべき面もある。一方で、バーナンキ議長は国内景気の回復を確認しながら金融政策の「正常化」を進めることを再三強調しているし、新興国も、これまでは過度な資本流入が自国通貨高を招くとして、米国の強力な金融緩和に異論を唱えてきたことを考えると、FRBとしては反論の余地もない訳ではない。

労働市場の評価

 むしろ、FRBにとって厄介な点は、金融政策の「正常化」の前提となる国内景気の力強さを判断する上で、労働市場をどう評価するかである。先にみたように、ゼロ金利政策解除の条件は失業率が6.5%まで低下することであり、「QE3」の縮小に関しても、FOMCの声明文等は労働市場の相当な改善が前提であるとしている。これに対し、雇用回復の評価は大きく分かれている。

 実際、非農業部門の雇用者数は、本年前半には月平均で20万人近く増加し、金融危機で失われた約700万人の雇用も累計で約600万人を取り返した。一時は10%台に乗った失業率も、本年7月時点には7.4%まで低下した。FRBが強く懸念していた長期失業者(27週以上)も、足許ではピーク比で約240万人も減少した。

 しかし、雇用回復の弱い面を指摘することも簡単である。金融危機後に雇用を創出しているのは、医療・教育や娯楽、専門的職業など一部に過ぎず、製造や建設、金融は沈んだままである。労働参加率低下の影響も大きく、例えば、現在の水準が2007年と同じであれば失業率は11%近くとなってしまう。長期失業者の絶対数も金融危機前に戻っていない。しかも、賃金(週平均)の前年比伸び率は低下を続け、マクロでは1%台となった。賃金上昇が弱いことは、ゼロ金利解除のもう一つの条件であるインフレ率―消費支出デフレーターで2.5%―が制約とならず、つまり、インフレ圧力の観点からも「正常化」を急ぐ必要はないという批判につながる。

金融政策の運営に対するインプリケーション

 FRBには、いずれにせよ米国の景気回復に自らの評価を下し、それに基づいて、まず「QE3」をどうするかを判断することが求められており、そのためには経済見通しの次回の改訂を行う9月が節目となる。もっとも、長い目で見ると、中央銀行は何を達成することが求められているかというより根本的な課題にも直面している。

 FRBの場合、物価の安定とともに最大雇用の実現を達成することが目的であると法律で定められているだけに、ゼロ金利解除や資産買入れ見直しの条件を労働市場の改善と明示的に関係づけることも当然である。ただ、米国の労働市場に残る弱さの中には、産業別の乖離や労働参加率のように、強力な金融緩和をもってしても効果が期待できない問題が含まれていることも否定できない。

 FRBの目的として物価安定とともに最大雇用の達成が含まれていることは、FRBに対して、米国経済を健全に成長させ、両者の目的をバランスよく達成することを求めているはずである。そうであれば、ゼロ金利政策の解除条件として失業率6.5%という具体的な値を示したのも、そこまで失業率が低下するほど景気が回復すれば、金融緩和は役目を終えるべきという考え方であったのだろう。その意味では、金融危機後の米国が平均で年率約2%しか成長していないのに、失業率が相応のペースで低下してきたことはある種の誤算でもあるし、市場がより早期の「正常化」を織り込んで長期金利が速やかに上昇していく事態は、まさに景気への影響を考えれば、FRBとして避けたいはずである。

 つまり、米国の金融緩和の「正常化」を巡る議論の根幹には、FRBが自分自身だけで達成できないことまでを事実上目指したことの副作用が含まれているのではないか。より正確に言えば、FRBは失業率の目標を掲げる際にこの問題に留意を促していたが、今や数字が独り歩きするようになってしまったと言えないだろうか。

 FRBに限らず主要国の中央銀行は、金融政策だけでカバーしえない問題も含めて解決することをコミットしてきた面がある。ドラギ総裁はユーロ圏を救うために何でもすると宣言し、黒田総裁は2年で2%のインフレを実現すると述べた。それらは、市場を含む経済主体のセンチメントを大きく改善し、差し迫った危機を回避したり、積年の問題に解決の光明をもたらしたりしたことは事実であり、これらの効果は大いに評価すべきである。

 その上で、主要国の中央銀行には―FRBが初の女性議長が誕生するか否かに拘わらず―市場やメディアが「男気」と称えた大胆さが一定の成果を収めたところで、戦略を再考する冷静さが求められているように思う。

※組織名、職名は掲載当時のものです。

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Writer’s Profile

井上哲也Tetsuya Inoue

金融イノベーション研究部
主席研究員
専門:中央銀行、国際金融

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