1. HOME
  2. 刊行物
  3. 金融ITフォーカス
  4. カテゴリから探す
  5. 数理の窓
  6. メタフィクションを超える

メタフィクションを超える

2013年7月号

外園康智

 「とりあえず私はこの物語の主人公である。この物語の作者は、今月の話を語ることで、私が何者なのか明らかにしようとしている。。」

 このように、登場人物自身が物語の中にいることを表明し、物語自体が誰かの作り話だと分からせる手法をメタフィクション(※1)と呼ぶ。「作者自身が登場するマンガ」や「夢の中で自分が夢の中にいることに気づく明晰夢」なども、その一種と言える。

 通常の創作物においては、現実世界=作者>虚構世界>虚構の中の虚構 という“明確な因果律”が存在するのだが、メタフィクションでは、この階層を意図的に超えたり、あいまいにすることで不思議な循環や矛盾をもたらす。例えば、虚構の住人が、現実の作者に危害を加えて物語が書けなくなると、物語自体終わってしまう。。この展開は果たして、作者の意図通りだったのか? という不可解さが残る。

 このような不思議な循環が成立する条件として、虚構の住人自身に、現実世界には物語とその作者がいるという知識、「自分自身はその物語の住人だ」と“自己言及”する表現力・推論力が必要となることに着目しよう。

 この自己言及のしかけをうまく使って、論理学・数学界に衝撃を与えたのが、有名な“ゲーデルの不完全性定理”である。これは「“ある論理学の体系=公理系”の中では、証明も反証もできない命題Gが存在する」という不思議な定理なのだが、この命題G自体が「Gは証明できない」という自己言及文である(※2)。

 実は“論理学の体系”には、単純なものから複雑なものまで多数存在するのだが、その中でも、不完全性定理が導かれるのは、不正確をおそれず端的に言うと、自己言及文が構成できるぐらい十分な表現力と推論力がある体系だけなのだ(※3)。

 ところで、現実世界の我々は「宇宙の始まり、そして終わりは? 万物の究極の法則は何か?」という根源的な問いを持っている。勘のよい読者はお気づきになったかも知れないが、虚構の住人が現実世界を知りたいのと同じことだ。

 残念ながら、我々は上位世界(=この世界を支配する法則・神)の知識と、それを想像し推論する力がないため、いまだ宇宙の謎を解くことができない。“数理”は、宇宙を理解するために我々に与えられた唯一かつ強力な手段と言えよう。

1) メタフィクションのエポック的な作品は、筒井康隆氏の「虚人たち」である。
2) もしGが証明可能とすれば、命題「Gは証明できる」は証明可能だ。一方G自体は「Gは証明できない」と言っている。これは矛盾だ。
3) 正確には、ゲーデル数が構成でき、帰納的記述が可能な公理系だ。参考文献としては、有名な「ゲーデル・エッシャー・バッハ」が挙げられる。

※組織名、職名は掲載当時のものです。

印刷用PDF

Writer’s Profile

外園康智Yasunori Hokazono

金融デジタル企画一部
上級研究員

この執筆者の他の記事

外園康智の他の記事一覧

このページを見た人はこんなページも見ています