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「好意」を事実から導けるか

2012年10月号

外園康智

「Bさんはケーキを上手に作ることができる」
「A君はケーキを食べると喜ぶ」
「よって、BさんはA君にケーキを作ってあげるべきだ」
この単純な三段論法のおかしいところは、どこだろうか?

 普通の人は「~である」から「~べきだ」が導かれるのに違和感を覚えるだろう。18世紀のイギリスの哲学者デイヴィッド・ヒュームは、事実の記述「~である」から“規範文”の「~べきだ」を導くことはできないと主張し、この法則は「ヒュームの法則」と呼ばれる。規範文の中には「~が望ましい」や「~したい」、「~は美しい」などの文も含まれている。論理学では、事実命題を積み重ねても、規範や倫理命題を導くことができないとするのが、一般的な立場だ(※1)。

 しかし、実は、規範文の結論を導く方法がある。それは、前提の中にも規範文を含めることだ。たとえば、冒頭の例の「ケーキを作ってあげるべき」という結論は、
 「 BさんはA君を喜ばせたい」
という規範文の前提を1つ加えることで、導くことができる。

 ヒュームの法則は、科学を離れて、規範や倫理的なテーマを議論する際には、隠された前提を明示することの重要さを示唆している。

 経済政策に関しても、非常に単純化した上で、根拠をたどると、事実の他に“倫理”が前提となっていることが多い。例えば、金融機関の危機を政府が救うべきか否かの議論について、救うべきの前提には「秩序の安定性や成長を優先すべき」があり、救うべきでないの前提には「競争は公正であるべきだ」がある。また、累進課税制度については、「人は本来的に平等であるべきだ」という前提が置かれている。

 しかし前提の倫理自体は、他の何かから導くことができない“主張”のため、優先順位がつけられない。よって経済政策について、1つの結論を出すことが難しいのは必然的なことと言える。

 ところで、A君にとっては残念な話だが、「BさんはA君を喜ばせたい」というさんの心のありようは、どんな事実からも導くことはできない。さらに、ケーキをくれた事実があったとしても「好意がある」を論理的に導くことはできないのだが・・このケースでは幾ばくかの可能性はありそうだ。

1) ヒュームの法則の反証を試みる論理学者や法学者の研究もあるが、あまり成功していない。

※組織名、職名は掲載当時のものです。

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Writer’s Profile

外園康智Yasunori Hokazono

金融デジタル企画一部
上級研究員

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