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少しの勇気と「自由」がいじめを救う

2011年12月号

外園康智

 屈強なAさんと臆病なB君が、あるいじめの現場に出くわした。二人同時に助けには行けないとする。Aさんは「いじめは当人の問題で、ほっとくのがよい。助けに行くなら私だが、B君がいくのは危険なのでやめるべきだ」と考えた。一方、B君は「屈強なAさんが行くべきだ。Aさんが行かない時は自分が助けに行くかほっとくか迷うが、いじめはよくないので、“少しの勇気”を出して自分が助けにいくのがいい」と考えた。以上の考えを、
《 ほっとく》:いじめの現場をほっとく。
《 屈》:屈強なAさんが助けにいく。
《 臆》:臆病なB君が助けにいく。
とおいて優先順位で現すと、
 屈強なAさん:
  《ほっとく》>《屈》>《臆》
 臆病なB君:
  《屈》>《臆》>《ほっとく》
の順で“望ましい選択肢”と考えていることになる。どういう理屈でどう選択するのが“よい”だろうか?
 他人に迷惑をかけない限り、個人の選好を優先する“自由主義”の仮定をおく。すると《臆》と《ほっとく》の優先順位に関してはB君が決めることなので、Aさんの意見は採用されずB君の意見が優先される。よって《臆》>《ほっとく》となる。また《ほっとく》と《屈》の優先順位は、Aさんの自由なので《ほっとく》>《屈》となる。以上から、最終的に《臆》>《ほっとく》>《屈》となり「臆病なB君が助けにいく」が勝ち抜くことになる。
 ちょっと考えてほしいが、もともと、AさんもB君も共に、B君よりもAさんが行く方がよいと考えていたのではないか?
 これは、1970年に経済学者アマルティア・センが示した有名な「自由主義のパラドックス」(※1)である。個人の自由を保障し、各人の選択を積み上げて社会全体の選択肢とした時に、もとは誰もが望まなかった結果になりうることが分かり、厚生経済学の分野で大問題となった。現実社会で も、“個人の自由”と“社会的に望ましい状態”の両立は難しいのだが、理論的にも難しいことが証明されたのだ。
 パラドックスを解消しようと多くの研究がなされた。大方は個人の自由を制限する方向だったが、セン自身は「全員が一致した選好順序を、あえて採用しない(※2)」という驚きの解決法を提案した。
 ところで、もしB君が《ほっとく》>《臆》と選択したら、いじめ現場はほっとかれてしまったのだ。B君の“少しの勇気”により、B君自身が助けにいく羽目になったのだが、助っ人任務が成功したかどうかは想像におまかせしよう。

(外園 康智)

1) セン自身は、『チャタレイ夫人の恋人』の本を、捨てるか、読むとすれば誰が読むか、という例で示している。
2) パレート最適性条件の方を問題視する解決法である。

※組織名、職名は掲載当時のものです。

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Writer’s Profile

外園康智Yasunori Hokazono

金融デジタル企画一部
上級研究員

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