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2015年に延期された欧州T2Sの実現

2011年12月号

金融ITイノベーション研究部 上級研究員 片山謙

欧州では証券決済コスト低減の期待を担うT2Sの実現が9カ月延期され2015年6月となった。最終ユーザである投資家のメリット実現に向けた規制や税制の調和を鈍らせ、改革全体の勢いを削ぐことが懸念される。

延期されたT2Sの実現時期

 欧州中央銀行( E C B )は2 0 1 1 年1 0 月、T 2 S(TARGET2-Securities)と呼ぶ新しい証券決済インフラの稼働予定を、2015年6月に現行の計画よりも9カ月延期すると発表した(※1)。これで延期発表は二度目となる。
 T2Sとは、欧州で数多くの証券決済機関(CSD:Central Securities Depository)が担ってきた証券保管機能と振替決済機能のうち、共通性の高い振替決済機能を集約してコスト低減に寄与することが期待されている、大規模なインフラ開発プロジェクトである。T2Sのシステム開発と運用はECBと4カ国の中央銀行(4CBs:独・仏・伊・西)が中心となって進めている。
 ECBは延期理由として、2010年2月に一旦確定したユーザ要件に後から追加が入り開発やテストに時間がかかること、各国CSDとT2Sを接続するネットワーク業者の選定に想定より時間がかかりそうなこと、さらに、今は想定されていない課題が将来生じたときのために予備期間を設けておくことを考慮したと述べている。これだけであれば、大規模なインフラ・プロジェクトにありがちな、実施段階における現場の問題といえる。
 しかし、延期にかかる報道や業界関係者の発言からはさらに大きな課題が感じ取れる。例えば、T2Sプロジェクトに何らかの問題が発生しプロジェクト中止に至った場合に、それまでにかかった開発費用等を誰が誰に対して補償するのかといった責任問題について、開発するECB側と業務を「委託」する各国のCSDの間で合意に至っていないという。プロジェクトのガバナンスに係る課題が未だ解決されていないのではないか。

T2Sにかけられた期待

 T2Sプロジェクトは、2006年7月にECBが構想発表して以来、市場関係者から高い期待と共に、実現性への疑問が常に投げかけられていた。もともとユーロ圏の次世代クロスボーダー資金決済システムとして開発されたTARGET2を、証券決済インフラとしても活用する旨の発表を行った際の構築理由は次のとおりであった。
① ユーロ導入後7年が経過した今(当時)もなお、数多くのCSDが分立した状態にある
② (各国CSDの買収・合併を進める)ユーロクリア・グループも欧州の20 -33%しかカバーしていない
③ そのため、流動性が分散した状態が続いている
④ ユーロ圏の中央銀行として資金口座のコントロールを100%確保したい(とりわけ金融危機時)
 上記のうち、特に④は中央銀行ならではの動機である。ユーロクリア・グループが、CSDの買収・合併により効率化を進めるにあたり、フランスで採用していた資金の日中流動性管理をCSDが行うという証券決済モデルを他のCSDに展開しようとしたことに対して、あくまで資金口座の管理権を守りたいECBが自ら証券決済機能の一部を担うモデルを打ち出したのがT2Sの発端であった(※2)。
 もっとも、資金流動性の管理権だけでは欧州議会や金融機関から賛同を得られない。そこで、ECBは業務集約により証券決済コストの低減に貢献するという大義名分を掲げた。例えば「通貨統合を実現したにも関わらず域内クロスボーダー証券取引の決済コストは米国の10倍近く高い。これはCSDが多数分立しているからであり、業務を集約すればコストが下がる」という主張である。

コスト低減には各国制度・慣行の調和が不可欠

 ここでコスト低減の議論をいま一度確認してみたい。まず、欧州で問題となっているのは域内クロスボーダー証券取引の決済コストである。各国国内の証券決済コストはあまり高くなく問題視されていない3)。
 クロスボーダー証券取引の決済コストの構成要素は、機関投資家の立場からみると、資産全体の保管・管理を委託するグローバル・カストディ銀行の料金に投資先国の資産を管理するサブ・カストディ銀行の料金、それに投資先国のCSD料金を足し合わせたものとなる。サブ・カストディ料金にはCSD料金が含まれる場合もある。
 ここで、ドイツ取引所グループが2005年に発表した研究成果によれば、欧州における証券取引において機関投資家が支払うコスト(料金)計400億ユーロのうち、174億ユーロが証券決済などポスト・トレード処理関係であり、うち、グローバルおよびサブ・カストディ銀行分が160億ユーロ、CSD分が14億ユーロとされる。明らかに、コスト全体に占めるカストディ銀行料金の存在感が大きく、CSD料金は1割に満たない。
 クロスボーダー証券取引に係るカストディ銀行の料金はなぜ高いのか。カストディ銀行は、各国で異なる規制や税制、業務慣行の違いを理解し、変更に対応していくためには相応の知識と経験を有する専門家を擁することが必要なためと説明している。確かに、自ら資産の保管ができない資産運用会社だけでなく、中堅規模の銀行や証券会社においても、各国の制度に精通したスタッフを常時抱えることは固定費がかかりすぎるため、カストディ銀行に業務委託するほどである。
 それでは、1割に満たないCSDの業務の一部を集約したとして、どうしてクロスボーダー証券取引コスト全体の大幅な低減に繋げられるのか。業界関係者は、T2Sプロジェクトの推進によりコスト低減の意識が醸成され、規制や税制、業務慣行の調和に向けた当局の対話が進むことを期待していたようである。例えば、2011年9月に開催された業界関係者のコンファレンス4)では、「T2Sに対して制度・慣行の調和に向けた当局の活動を促す『触媒』としての役割を期待していた。しかし、T2Sの実現時期が延期されると、折からの欧州危機もあって、調和に向けた関係者の勢いが殺がれてしまうのではないかと懸念する」という声が多く聞かれた。
 もとより、クロスボーダー証券取引コストが高い根源である各国の規制や税制、それに業務慣行は、各国の主権が絡む領域であり変革には多くの労力と時間を要する。税制などの課題に深く入り込まず決済制度など統合できるところから先に進めようとして、後から根源的な問題が噴出する状況は今日のユーロ制度と二重写しに見えなくもない。投資家という最終ユーザの視点から見たメリットの実現性がはっきり見えてこなければ、今回のように、幾年にもわたる大規模なインフラ改革プロジェクトの途上で金融危機やソブリン危機など優先度の高い課題が発生した際に、改革に向けた勢いを持続することが困難になるのではないだろうか。

1) T2S expected go live in June 2015, ECB
2) ECBにおけるT2S検討の経緯については、金融インフラ2008年5月号「欧州中銀が各国CSDにT2Sへの参加を提案ー証券決済機能と保管サービス機能の分離は実現するのか」に詳しい。http://www.nri.co.jp/opinion/kinyu_infra/pdf/2008/SK200805.pdf
3) 問題視されていなかった国内証券決済コストについて、T2Sが振替決済業務、CSDが保管業務と分離して担うことで却ってコスト高を招き兼ねないという副作用も表立って議論されるようになった。コスト高を避けるには、CSDがT2Sにある残高データで保管業務を実施できるよう業務プロセスを改革すべきという主張もECBによりなされた。CSDにはハードルの高い要請である。
4) Sibos 2011(カナダ・トロントで開催)

※組織名、職名は掲載当時のものです。

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片山謙

片山謙Ken Katayama

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