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未経験ゾーンを走り続ける震災復興

2014年03月

未曾有の被害をもたらした東日本大震災。特に被害の大きかった宮城県では、震災後の10年間を震災直前の状態に戻す復旧期(3年)、震災がなければ進んでいたと想定されるインフラの状態にもっていく再生期(4年)、従来を追い越すような災害に強い県土づくりを目指す発展期(3年)の3段階にわけて復興を進めている。いずれの期にも参考にすべきモデルはなく、難問と闘う日々である。再生期に向かう今年、どのような課題が待ち受けているのだろうか。復興計画の指揮をとる遠藤氏に語っていただいた。

語り手

宮城県 土木部 部長
遠藤 信哉氏

1979年 宮城県庁入庁。石巻土木事務所、都市計画課、仙台東土木、気仙沼土木、道路建設課、土木総務課、東京事務所、企画部政策課等に勤務。都市計画課長、道路課長を経て、2011年4月に土木部次長。2013年4月から現職。企画部政策課では、2006年の「東北楽天ゴールデンイーグルス」新設に伴う新球団の支援を担当。道路課長時代は、東日本大震災による被災者の孤立解消のため道路啓開の指揮を執る。土木部次長時代は、大津波により被災した沿岸市町の「復興まちづくり計画」策定支援の指揮を執る。多賀城市復興検討委員会委員、南三陸町震災復興計画策定会議委員、女川町復興計画策定委員会委員、岩沼市震災復興会議オブザーバー、亘理町震災復興会議オブザーバーなど。現在は土木部長として、復旧・復興に向けて実施する事業推進の指揮を執る。

聞き手

株式会社野村総合研究所 社会システムコンサルティング部長
神尾 文彦

1991年 野村総合研究所入社。公共経営戦略コンサルティング部長、未来創発センター公共経営研究室長を経て現職。総務省「公営企業の経営戦略の策定等に関する研究会」委員、宮城県「貞山運河再生・復興ビジョン」検討座談会委員。国土交通省「下水道地震・津波対策技術検討委員会 復興支援スキーム検討分科会」委員など。著書に「社会インフラ 次なる転換―市場と雇用を創る、新たなる再設計とは」(共著)ほか。

復旧から再生に向けて

神尾:

 3月11日に震災から3年目を迎えます。震災当日、遠藤部長と県庁で打ち合わせを予定しており、私は仙台に向かう新幹線の中で被災しました。丁度、那須塩原付近を走行中で、転覆する寸前でした。

遠藤:

 こちらはもう滅茶苦茶でしたので、頭の片隅で「無事に東京に戻ってくれ」と考えるのが精一杯でした。

神尾:

 あれから3年が経ちました。

 「宮城県震災復興計画」では、復旧期3年、再生期4年、発展期3年となっていますので、復旧期から再生期に移る時期を迎えています。想定通り復旧が進んでいる部分とそうでない部分の両方があると思います。

遠藤:

 宮城県の内陸部の災害復旧事業は、平成25年度で概ね完了になりますので、それなりに順調に進んでいます。しかし、津波被害を受けた沿岸部は、まだ全体の30%ぐらいの進捗率にとどまっています。津波被災を受けた所は住めない場所になりましたから、高台か内陸に移転しなければなりません。そのためには、土地を新たに設けて、新しい市街地を構築しなくてはなりません。そういった用地の問題や国との調整などが複雑に絡み合っており、私どもが当初目論んでいたスケジュールとは若干ずれてきています。

神尾:

 道路や上下水道といった社会インフラの復旧も、内陸と沿岸部で差が生じている状況でしょうか。

遠藤:

 差があります。沿岸部で大津波により被災を受けたところは人が住まない地域にして、産業ゾーンや観光ゾーンにしていきますので、そこにくる業種、産業を見極めながらインフラ整備を進めていく必要があります。そのため、まだライフラインを復旧できる状況になっていません。今は、高台の宅地造成に一生懸命取り組んでいます。

神尾:

 高台移転の計画は200カ所近くあったと思います。

遠藤:

 195地区を予定しており、事業を進める際の国土交通大臣の認可はすべて得ています。この内、152地区の事業に着手していますので、防災集団移転促進事業としてはそれなりに進んでいます。ただ、新たに用地を求めて造成するというステップを踏むため、時間はかかっています。

 もちろん、市町によって進捗状況は異なります。沿岸部の中では、南三陸町は総じて進捗している方だと思います。

神尾:

 仮設住宅から災害公営住宅への移転は進んでいるのでしょうか?

遠藤:

 完成した災害公営住宅の戸数が少ないという問題があります。

 宮城県で1万5,000戸を予定していますが、完成しているのは、まだ266戸(平成25年12月末現在)です。平成26年度末までには、約7,000戸を供給できる予定です。また、防災集団移転促進事業の造成がある程度でき上がると、今度は自立再建の方たちも、そこで家を建てられるようになります。

 仮設住宅での生活は、相当なストレスがかかっています。早く災害公営住宅もしくは自立再建の住宅に移っていただくことがわれわれの最大の使命です。

神尾:

 これから復旧から再生に向かう中で、新たな課題としてどのようなことが挙げられますか。

 例えば、三陸沿岸の自治体では、人口の減り方が想定以上に速いという記事を見ます。当初の予測値が崩れると、計画の見直しが生じてきます。時間をかけて良いまちづくりをする必要がある一方で、早く復旧、再生しないと、更に人が離れてしまうというジレンマがあるのではないでしょうか。

遠藤:

 これは非常に大きな課題です。全国の皆さんに増税までして私たちを支援していただいていますから、宅地を造成したときに、空き宅地が出てしまうと、どうしても「無駄遣い」に見えてしまいますし、効率の悪い復興になってしまうこともあります。災害公営住宅についても同じです。

 今後、当初のフレームとでき上がりの姿を合致させていくにはどうすべきかを見極めていくことが重要なテーマだと思っています。

神尾:

 復興が進むにつれて、震災以前よりも人口や経済状況に市町村間の差が生まれるという、いわゆる『復興格差』も実際あるのでしょうか。

遠藤:

 これはもう明らかです。宮城県の人口減少率は下がっており、実は新潟県の人口を抜いたんです。ただし、それを牽引しているのは、仙台都市圏(仙台市とその周辺の市町村)です。

神尾:

 復旧が進んだ現在、仙台都市圏に県のどの位の人口が集中しているんですか?

遠藤:

 おおよそ150万人です。宮城県の人口が233万人ぐらいなので、50%以上が集中していることになります。

 一方で、気仙沼から石巻などの沿岸部の市町は軒並み減少率が高くなっています。しかも、この人口減少は歯止めがかかっていませんから、人口フレームとの絡みで、造り過ぎ、造成し過ぎといった話がどうしても避けて通れなくなっています。

 しかし、利用してもらえない時でも放っておくわけにはいきません。その部分を国の補助から外して、市町の責任において、被災者ではない方でも利用できるように対応することも考えていく必要があります。また、想定していた区画の面積を少し大きくして提供する方法もあるかと思います。もちろん、当初予定と余りに乖離がある場合には、造成規模を縮小することもあります。

宮城県で進む都市改造

神尾:

 今回の復興は、全く新しいところに住む場所を変え、従前の居住地を別の用途にするという意味では、まさしく都市の改造です。

遠藤:

 大事業です。更に、過疎化の進行、高齢化社会という課題を抱えています。

神尾:

 宮城県での取り組みが、そういった課題解決の先行事例となることが期待されていると思います。

遠藤:

 単なる震災からの復興ではなくて、「町づくりとはこうあるべき」という一つの手本にならなくてはいけないと考えています。

神尾:

 特徴ある取り組みを進めている自治体を教えていただけますか。例えば山元町は、よくメディアで取り上げられています。

遠藤:

 幾つかありますが、山元町もその一つです。

 JR常磐線が被災したため、常磐線自体が内陸に移転します。それに併せて市街地を内陸に移転します。その際、大きく2つの集落をつくって、そこに駅を造ってもらう計画です。町の大改造であり、モデル的な例だと思います。

 岩沼市では、6つの集落が津波で被災しましたが、その集落を一カ所に集約して皆さんに住んでもらう計画で、既に宅地の引き渡しが始まっています。なかなか集落を集約するというのは難しいので、画期的な取り組みだと思います。

 また、岩沼市では、多重防御の整備をしています。一番目の防御ラインとして防潮堤を造り、その背後に「千年希望の丘」という小高い丘陵を造っています。その丘陵は避難丘陵になりますし、そこに植樹をして森を造るので、二番目の防御ラインとなります。更に三番目として、その背後にある貞山運河の堤防の強化を図っています。そして、その内陸側に岩沼市の市道を高盛り土道路にすることで、四重に市街地を津波から守るようにしています。

 北の方では女川がモデルになると思います。中心市街地を再生するにあたって、大規模土木工事を行っています。工事区域の中に立ち入り禁止区域をつくり、事故が起こらないように安全な形で町をつくっています。この女川の例も、町の大改造です。

 また、東松島市では野蒜地区の高台で宅地を造成していますが、土が相当出ますので、その土をベルトコンベヤーで低平地の津波被害を受けたところに送り込んでいます。

神尾:

 ベルトコンベヤーでですか?

遠藤:

 ダンプ、トラックが土砂を運ぶことによって振動や騒音、道路の損傷が進んでおり、県内でも社会問題化しています。それを回避する方法の一つとして、ベルトコンベヤーで大量に土を運搬する方法をとっています。これも画期的だと思います。

神尾:

 コンパクトシティについては、総論としては非常にいいと認識されていても、実際に周辺(従前の居住地)から中心部に移ることに対して抵抗のある人が少なからずいると思います。規模の違いはあるものの、山元町も岩沼市もコンパクトシティを目指しています。被災という特殊な事情があったとはいえ、中心に住んでもらうよう説得するときに、どのような問題を解決していったのでしょうか。

遠藤:

 それぞれの市町で抱えるテーマ、課題は違うので、答えはそれぞれです。

 宮城県は、ちょうど仙台湾を境にして、北側がリアス式海岸である三陸海岸、南側が低平地である仙台平野になっています。今申し上げた山元や岩沼は、低平地を持つ町です。造成をしたり、町を造るための種地となるところが比較的用意しやすいといえます。また、どちらかというと農業をやられている方が集まっています。そのためか、比較的、職住分離に対する拒絶反応は小さいんです。移った跡の土地はまた農業経営ができるように圃場整備をしてやっていきましょうということで納得いただいています。

 一方、三陸沿岸は土地がないことも大きいのですが、漁業をやられている方々は、「浜に住んで、海を常に見て、そこで漁をする」という生活習慣が明確になっていますので、そこから「離れて住む」ことに対する拒絶反応が大きいんです。そのため、集落をまとめることが非常に難しく、震災前の集落の数がそのまま残った状態で、復興を進めています。

神尾:

 地域の地形や産業、就業構造によって、コンパクトシティのあり方も様々であるという事例は非常に参考になります。

遠藤:

 われわれには、どういった取り組みをしているか、全国の皆さんに発信していく責務があります。町ごとの復旧・復興状況を整理しながら発信したいと思います。その中から、参考になる事例を選択してもらえればいいのではないかと思います。

解決が望まれる人材不足

神尾:

 復旧が進まない理由としてよく指摘されているのが、建設業の従事者不足です。発注してもなかなか応札する企業がいなくて不調率が高くなっているといった話をよく聞きます。また発注者側である自治体の人手不足もあると思います。このあたりは、現状はどうなっているのでしょうか。

遠藤:

 まず、発注者側である県についていえば、土木部の職員の数は1,000人ぐらいです。そこに全国の都道府県から110名を超える方に応援に来ていただいています。また、3年や5年といった任期付きの職員も100名ぐらいいます。そういう人たちに応援をいただきながら、通常の1.2倍ぐらいの職員の体制になっています。

 一方、県の予算は、震災前は1年間に1,000億円ぐらいでしたが、今年度は繰り越しも含めて4,000億円を超えています。来年度は5,000億円を超えます。すなわち、人は1.2倍で予算は5倍ということです。発注側の設計、積算、監督、審査等の業務が中々追いつかないのが現状です。

 また、建設従事者も不足しており、応札されない案件も出ています。発注規模が大きくなれば、受注者は効率的に事業が実施できると思われがちですが、実際は規模の大きさに従って建設従事者も必要になりますので、結局は足らないんです。

 更にここに来て、資材不足も深刻化しており、不調案件が増えてきています。今後については、建設業者の方々と直接お話をして解決策を探っていかなくてはいけないと考えています。

神尾:

 復旧・再生されたインフラについても、今後はマネジメントが課題になります。いわゆるインフラの維持管理問題です。復興によって多くのインフラが再生されたとしても、それを持続的に維持管理しなければなりません。これは全国で指摘されているインフラ老朽化問題がここ宮城でも顕在化することに他なりません。自治体の職員が大幅に増えないなかで、この課題にどのような対策を講じますか?

遠藤:

 急がなくてはいけないことは事実ですが、ただ造ればいいわけではなくて、メンテナンスフリーであったり、壊れにくい構造にしたり、そういったことを念頭に置きながら工事を進めています。

 技術革新の進歩により、機械による点検が可能になってきています。赤外線や超音波などで、構造物の欠陥を見つけ出す技術も進化していますので、マンパワーを使わなくてもできる点検も取り入れるなど、維持管理費のコスト縮減や、耐久性、長寿命化といったものを増やす工夫をしています。

神尾:

 国の「日本再興戦略」でも、そういった新しい技術、新しい材料によって維持管理を解決していくという方向性が打ち出されています。宮城県が最先端で実現する県になるかもしれません。

挑戦し続ける復興プロジェクト

神尾:

 今までお話いただいたほかにも、復興地域の鍵となるようなプロジェクトが動いています。紹介していただけますか。

遠藤:

 仙台空港の民営化は知事が先頭に立って進めている大きなプロジェクトです。民間に空港運営を任せることによって、利便性を向上させて、ゆくゆくは利用者数を増やす。その波及効果で地域が活性化していく。空港周辺の新たな土地利用も視野に入れながら進めています。

 実は、東日本大震災の時の大きな教訓として、岩手県に学んだことがあります。岩手県では、遠野市が釜石や宮古、大船渡に対する人的、物的両面での供給基地になりました。宮城県は、県庁が被災地に近かったということもありますが、そういう防災基地を持っていませんでした。そこで、プロ野球の東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地である仙台市宮城野原の総合運動公園に隣接するJR貨物の土地を取得させていただいて、そこに東京の有明のような広域防災拠点をつくる方向で進めています。

神尾:

 県を超えた活動もされていますよね。

遠藤:

 国際リニアコライダー(ILC)を誘致する活動を、岩手県と宮城県が連携して行っています。ILCの国内建設候補地として北上山地が決定しています。そういったものが決定してくると、それらがもたらす経済効果は計り知れないものがあります。

 また、隣県連携ではないですが、東北大学などの大学と連携して、放射光施設といった研究施設の誘致に取り組んでいます。これらも、別な側面から宮城県の経済を押し上げてくれると思います。

神尾:

 仙台空港の民営化は典型的な例ですが、民間にはどのようなことを期待されていますか。

遠藤:

 自動車産業は震災以降も確実に業績を伸ばしています。自動車産業は裾野が広いですから、生産体制が整うと、関連産業も増えていきます。多くの企業の方に来ていただいて、ここでビジネスチャンスを広げていただきたいと思っています。

 今はまだ、民間による投資も、インフラ整備が進んでいる内陸が中心です。これから沿岸部の土地利用として、産業が入り込んでくることが期待されます。その際、6次産業化を推進していくことが重要な鍵になると思います。海産物などの地場産品の付加価値が高まれば、県民に非常にいい結果をもたらすと思います。

神尾:

 2020年に東京オリンピックがありますが、その頃には宮城は発展期に入っていると思います。オリンピックが開催されることで復興への動きはどのような影響を受けるのでしょうか?

遠藤:

 東京オリンピックの準備が始まると、復興に携わっている人たちが東京にシフトしてしまうのではないかと心配する声も聞こえますが、東京が動きだす前にある程度の目安をつけておけば、それほど大きな影響は出ないと思います。

 利府町の宮城スタジアムではサッカーの試合が予定されていますし、総じて県民は東京オリンピックがくることを歓迎しています。

神尾:

 仙台空港に入ってもらって、東京から帰るといった広域観光もいいかもしれませんね。

遠藤:

 十分考えられますね。オリンピックの機会に、日本各地を観光したいという国内外の旅行客は多いと思います。東日本大震災の被災地がどうなっているかを見に行こうという人達も相当いらっしゃると思います。私達は、そこをチャンスと捉えなくてはいけません。「まだ被災したままなのか」と言われないように、しっかり復興していく必要があります。

神尾:

 貞山運河の桜並木も期待できますね。日本一長い運河ですよね。

遠藤:

 一部途切れていますが、全長50キロあります。今、福島でNPOの方々が、国道6号を桜でつなごうというプロジェクトを進めています。それが北上すると貞山運河につながりますので、福島のいわき市から石巻までの200kmが桜並木ということになります。

神尾:

 それは壮観ですね。プラスアルファの付加価値を造る方法の一つですね。

 最後に、遠藤部長からメッセージをいただけたらと思います。首都直下地震や南海トラフを想定して、様々な検討会が設けられています。どのような点に注意して、これからの街作りや住民の合意形成をしていけばいいでしょうか。

遠藤:

 まず、私たち直接被災を受けた者の責務として、皆さんにしっかりと震災の事実と復興への歩み、それと反省点を伝えなくてはいけません。その中でやはり大きいのは、避難態勢に対する意識付けです。

 いかに速やかに避難するかが生死を分けます。避難ビル、避難道路、避難地を常に意識することが大事です。また、観光地であれば、知らない人でも避難できるようにしなくてはなりません。

 防潮堤といった防護施設をわれわれは造っていますが、時間がかかります。ハード面もしっかり造っていかなくてはなりませんが、ソフト面での避難態勢は確実に必要です。

 釜石市では小学校・中学校の子どもたちの津波による犠牲者が学校から出なかったことから、「釜石の奇跡」と言われています。これは、子供達に「地震が来たら、すぐに逃げる」という意識が刷り込まれていたからなんです。群馬大学の片田先生がずっと講師で入られて粘り強く、意識啓発をしてこられていました。

神尾:

 震災から3年が経過して、危機意識が少し薄れてきていますが、日本国民全体の防災意識を喚起させるような取り組みを絶やさないようにしていかなければいけないですね。

 本日は、貴重なお話をありがとうございました。

(文中敬称略)