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日銀の黒田総裁の記者会見-予防的な追加緩和

2019年07月31日

はじめに

今回(7月)の政策決定会合は、金融緩和の現状維持を決定しただけでなく、経済と物価の見通しについても前回(4月)からほとんど変更しなかった。しかし、今後の海外経済に関する下方リスクが一段と高まったとの認識を示した上で、物価のモメンタムが損なわれる惧れが高まった場合には、躊躇なく追加緩和に踏み切るとの姿勢を声明文に明記した。


経済と物価の見通し

2019年度から2021年度にかけての実質GDP成長率の見通し(median)は+0.7%→+0.9%→+1.1%となった。これを前回(4月)と比較すると、2019年度と2021年度が各々0.1pp下方修正されただけである。

この見通しについては、修正幅だけでなく絶対値にも注目する必要がある。なぜなら、見通し(summary)で触れられている潜在成長率の上昇の可能性を考慮しても、日本経済が2021年度にかけて潜在成長率近傍で推移すると予想していることを意味するからである。つまり、見通し通りになれば、GDPギャップはプラスを維持しうることになる。

また、2019年度から2021年度にかけてのCPIインフレ率(除く生鮮かつ消費税率の引き上げや教育無償化の影響も除く)の見通し(median)は+0.8%→+1.2%→+1.6%となった。これを前回(4月)と比較すると、2019年度と2020年度が各々0.1pp下方修正されただけである。

もっとも、見通し(summary)は、経済と物価の先行きに関するリスクが下方に傾いているとの判断を維持しただけでなく、その背景としての海外経済の不確実性が前回(4月)に比べて増したとの認識を示した。見通しに添付された「リスクバランスチャート」をみても、実質GDP成長率とコアCPIインフレ率の双方ともに、下方リスクを示す▼のマークが目立っている。

しかも、見通し(summary)は保護主義を海外経済のリスクの主因として掲げているが、今回(7月)の記者会見で黒田総裁は、地政学的リスクやBrexitを巡る不透明性、中国における景気刺激効果の不確実性といった幅広い要因を挙げた。

これに対し記者からは、下方リスクの高まりにも関わらず、緩やかな回復シナリオを変えない理由についての質問が多く示された。黒田総裁は、7月に改訂されたIMFのWEOでも本年後半の回復シナリオが維持されており、以前に比べると回復時期には若干の後ズレの可能性もあるものの、国際会議でもこうした見通しが共有されていると説明した。


政策スタンス

本コラムの冒頭で触れたように、今回(7月)の声明文には、特に海外経済の動向を中心に経済・物価の下方リスクが大きい点に言及した上で、条件が整えば躊躇なく追加緩和に踏み切る姿勢を明記する文章が加えられた。その条件については、物価が目標に向かうモメンタムが損なわれる惧れが高まる場合としている。

黒田総裁が躊躇なく追加緩和を行う姿勢を予て示してきただけに、この文章もそれを再確認しただけに見えるかもしれない。記者のこうした疑問に対して黒田総裁は、従来はモメンタムが損なわれた場合に追加緩和に踏み切るとしていたが、今後はモメンタムが損なわれる惧れが高まった際に追加緩和に踏み切る点が異なると説明し、いわば予防的な対応を意味することを示唆した。

その上で記者からは、こうした文章を加えた理由についての質問も多く示された。黒田総裁は、政策委員会としては物価のモメンタムが現時点で緩やかだが維持されていると認識しており、従って、新たな条件に照らしても、直ちに追加緩和が必要なわけでないとの判断を示した。つまり、追加緩和の緊要性に関する見方は、 ECBのDraghi総裁とは異なる訳である。

ただし、黒田総裁も、政策委員会として物価の下方リスクが拡大したと認識した点も指摘し、また、先行きに対する不透明性が長期に亘って持続した場合の物価に対する影響に懸念を示した。

別の記者が、物価のモメンタムを認識するための指標について質問したのに対し、黒田総裁は、GDPギャップとインフレ期待の二つを挙げた。言うまでもなく、これらはPhilips Curveの枠組みで重要な要素である。黒田総裁は、金融緩和を粘り強く続けることでGDPギャップをプラスの状態に維持することと、金融緩和姿勢にコミットすることでインフレ期待の改善を図ることが重要との考え方を確認した。

この点に関しては、さらに他の記者が米欧でもインフレ目標の達成が困難になっている点を挙げ、「日本化」と理解してよいかどうかを質した。黒田総裁は、1998年~2012年の日本のように低成長と低インフレが継続する事態は避けるべきことは当然であるとした一方、現在のように物価が下方圧力に直面する事態は、「日本化」でなくグローバルな事象であるとの理解を示した。

その上で黒田総裁は、そうした下方圧力の原因として、経済のデジタル化やグローバル化、世界金融危機の後遺症といった要素を挙げた。黒田総裁がこのように物価の構造要因をハイライトしたことに対しては、戸惑いを感じる向きもあるかもしれない。


追加緩和の手段

日本経済が日銀のメインシナリオに沿って推移する限り、追加緩和が直ちに行われる訳ではないが、今回(7月)の会見では一部の記者から追加緩和の手段に関する質問が示された。ある記者が言及したように、米欧の中央銀行に比べて日銀は追加緩和の余地が相対的に乏しいとの懸念によるものであろう。

黒田総裁は、6月のインタビューを踏襲する形で、短期の政策金利の引下げ、10年国債の目標金利の引下げ、資産買入れの拡充、マネタリーベースの一層の拡大という4つの手段を挙げた上で、これらの組合わせを含めて発動の余地は十分にあるとの考えを確認した。また、実質金利の引下げとリスクプレミアムの圧縮が政策効果の主たる波及経路になるとの見方も示唆した。

国債などに買入れ増加の余力があるだけに、リスクプレミアムの圧縮は比較的容易であろうが、実質金利の引下げにはインフレ期待のアンカーが必要となる点でハードルは低くない。その意味で、海外経済に関する不透明性の高まりは、直ちに国内の経済や物価に直接的な打撃をもたらさなかったとしても、インフレ期待の不安定化を招きうる点で、日銀にとっては厄介な問題となる。

Writer’s Profile

井上哲也Tetsuya Inoue

金融イノベーション研究部
主席研究員
専門:中央銀行、国際金融

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