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FRBのパウエル議長の講演-Guided by stars

2018年08月27日

はじめに

今年のジャクソンホールにおけるパウエル議長講演のうち、当面の政策運営に関するメッセージは、米国メディアが既に報道しているように「緩やかな利上げの継続」である。しかし、こうした結論を導く上で展開した議論は現在の景気循環を超える様々な含意を有する。そこで、中長期的な視点を意識しつつ内容を検討したい。


星の導き

パウエル議長は、まず、2003年の同じ会議で議論された「重要なマクロ変数の位置に関する不確実性」というテーマが依然として有効であることを指摘した。そして、①失業率が長期の正常な水準より低いのに、なぜ利上げを急がないのか、②インフレの明確な兆候がないのに、なぜ利上げを続けるのか、という相反する質問が金融政策のトレードオフを象徴するものと整理した。

その上で、伝統的な経済モデルの下で、金融政策は主要な構造変数の「中立値」ないし「自然値」との関係に即して運営すべきとされる点を確認し、その代表例としてテイラールールを示した。なお、経済モデルでは星印(*)を付与することで「自然値」を示すことが一般的であるだけに、金融政策は星に導かれるようなものだと述べている。

しかし、実際の政策運営は、星の位置に関する推計が大きく変化するために容易ではないことを指摘し、例えば、現在の米国経済で自然失業率が1%低かった場合、160万人もの雇用を新規に創出しうるとの事例を示した。

加えて、主要な構造変数の推計が政策対応に大きな影響を与えた例として、1970年代の高インフレ率と1990年代後半の「ニューエコノミー」の二つを取り上げた。このうち前者については、自然失業率の過小評価に基づいて過度に緩和的な政策運営を続けたことを原因として批判した一方、後者については、自然失業率を過大評価したものの、潜在成長率の上昇を推察したために過度な利上げに走らなかったと評価した。

これらの観察に基づいて、パウエル議長は、インフレと失業との関係には、「自然値」が推計とはかなり離れた位置にありうることや、労働資源の稼働率についてインフレが必ずしも有効な指標でないことがありうる、といった問題があると指摘した。

こうした議論のインプリケーションとして、まず、ルールに基づく政策運営に対して疑問を示した。つまり、2003年以降の議論の発展を踏まえても頑健性の高いルールが提示されていないだけでなく、FOMCスタッフの分析によれば、上記のような「正常値」に関する不適切な推計の影響まで考慮すると、経済の現実的なシナリオの下で安定的に適切な政策対応を導くルールは存在しないとの結論を示した。

従ってパウエル議長は、政策の影響に関する不確実性が高い際には、政策を慎重に運営すべきという、Brainard Principleが依然として有効であると主張した。こうした考え方の下で、FRBとしては緩やかな利上げを続けることが合理的と結論付けたわけである。

ただしパウエル議長も、こうした原則が常に正しいわけでないことも認め、①政策金利の長期に亘る下限(ELB)への直面や金融危機、②インフレ期待の安定に対する脅威の発生、といった事態に直面した場合には、「必要な手段を全て行使する(do whatever it takes)」といった大胆な政策対応が望まれるし、FOMCにもそうした用意があることを指摘している。日本の読者にとって、これらが何を指すか、大変わかりやすいであろう。


講演内容のインプリケーション

実体経済を念頭に、重要な構造変数の推計の問題をもとに政策運営の課題について整理したパウエル議長の議論については、異論は少ないのではないかと思われる。もっとも、政策運営全般に視点を広げると、いくつか考えるべき点も残る。

第一に、重要な構造変数の「自然値」は政策判断のベースであると同時に、金融市場や幅広い経済主体との対話のツールでもある点である。実際、FOMCによる経済見通しの開示内容が徐々に量的に増加してきたのも、こうした考え方と無縁ではない。

「自然値」に関する推計が不正確でも、それによって政策判断が下される以上、金融市場や経済主体にとっては重要な情報であり、不正確さのリスクゆえに情報開示を減らすのは望ましくない。むしろ、政策運営が不適切であれば、経済指標や金融市場はそれを示唆する反応を示すはずであり、FOMCは、謙虚に耳を傾けることで「自然値」に関する推計の過ちと政策判断の不適切さを認識することができる。

第二に、金融政策の波及経路には、実体経済だけでなく金融市場も含まれることである。もちろん、金融システムに不安定性が残る場合には、Brainard Principleは金融市場の観点からも有効である。実際、ECBによる金融政策の「正常化」にはそうした配慮が伺われる。

しかし、利上げ局面で実体経済との関係からこのPrincipleを重視することは、今回の講演の結論である緩やかな利上げを導くことになり、それは長期金利の抑制も含めて、資産価格全体を下支えすることにも注意する必要がある。このことは、資産価格インフレに道を拓く可能性があるだけでなく、実体経済の過熱を抑える効果を、政策当局の想定よりも減衰させることも考えられる。

実際、先週公表されたFOMCの議事要旨をみても-政策金利がまだi*(中立金利)に達していないとしても-利上げによる米国内への影響は住宅建設の一部以外に殆ど見つからなかった。それでも、パウエル議長が講演で主張したように、Principleの遵守に伴うメリット-例えば、本当はもっと多かった労働のslack解消に寄与すること-の方が大きいと主張できるかもしれない。あるいは、長期金利が抑制されているのも、金融政策のせいだけではない。

しかし、そうした反論を受け入れても、金融システムが相応の水準の負債を抱えたまま次の景気後退に直面することは、政策当局だけでなく金融市場にとっても、あまり気持ちのよいことではないかもしれない。米国ではマクロ・プルーデンス政策の枠組みや発動に様々な課題が残るだけに、この問題への対応も結局はFRBが主導的な役割を果たさざるを得ないことも明らかである。

実務経験から金融システムに造詣が深いとされるパウエル議長には、金融システムも視野に入れた上でのBrainard Principleについて、今回の講演の続きを是非とも拝聴したい。

Writer’s Profile

井上哲也Tetsuya Inoue

金融イノベーション研究部
主席研究員
専門:中央銀行、国際金融

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