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ECBの7月政策理事会のAccounts-三つのP

2017年08月18日

はじめに

ECBの7月政策理事会の議事要旨の内容は、全体としては、当日のドラギ総裁の記者会見から推測可能な内容ではあった。それでも、Philips Curveのフラット化や、「正常化」の進め方、コミュニケーション政策などに関して興味深い議論が行われている。いつものように内容を検討したい。

Philips Curve

政策理事会メンバーによる経済活動に関する議論は、雇用や所得の拡大とセンチメントの改善を背景に個人消費が引続き牽引車であるほか、設備投資も良好な金融環境や先行き不透明感の低下によって回復しているといった内容であり、ドラギ総裁の記者会見に示された内容に照らして目新しいものはみられない。

その上で興味深いのはインフレに関する議論である。政策理事会メンバーは、まず、①足許のHICP総合インフレ率の停滞はエネルギーと食料品の価格に大きく影響されている、②こうした下でもインフレ期待は安定している、といった事実を確認した上で、インフレの基調を示す指標には2%目標への持続的な動きがみられないとの評価を下した。

そこで、経済活動の拡大に拘らずインフレが抑制的である理由-Philips Curveのフラット化の背景-に議論が移り、政策理事会メンバーは、ドラギ総裁による6月の講演を参照する形で、海外からの価格ショック、労働市場におけるslackの残存、需給の逼迫に対する賃金や価格の反応のラグ、といった要素を提示した。

さらに、今後を展望する上で注目すべき要素として、雇用や賃金契約のプロセス、労働市場改革の効果といった構造的要素を挙げた。その一方で、広義の失業指標によれば依然としてslackが残存している可能性や、非熟練労働力の大量の供給が賃金を抑制している可能性といった循環的要因も指摘された。

加えて、賃金や価格の反応のラグがバックワードルッキングな設定行動や期間契約によって生じている可能性や、財やサービス市場のデジタル化によって価格が抑制されている可能性なども挙げられた。最後には、ユーロ圏に特有な要因として、de-leveragingによる価格抑制効果も指摘された。

こうした議論を踏まえて、政策理事会メンバーは、現在の景気拡大がいずれは価格上昇の動きを強めることに自信を示しつつも、そうしたプロセスには時間を要し、しかも非常に強力な金融緩和に依存するだけに、「忍耐強さ、粘り強さ、慎重さ(patience, persistence, and prudence)」が必要であることを強調した。

今回の議事要旨にも言及されているように-また、昨日公表された7月FOMC議事要旨からも明らかなように-経済活動の拡大とインフレ率の停滞の組み合わせはユーロ圏に限った話ではなく、今や先進国の多くに共通した現象になっている。しかも、仮説の多くまでが収斂する事態になっていることも興味深い(某国からnの借り物といった性格の議論もない訳ではないが)。

もちろん、ユーロ圏の場合は、主要国の労働市場だけをみてもslackの存在が示唆されるほか、上記のようにインフレ期待が安定(ないし、むしろ上昇気味)とみられる点では、相対的には深刻でない面もある。だとすると、「三つのP」に象徴されるように、当面は強力な金融緩和を維持するというのが自然な帰結になるはずである。それでも、後に見るように、来年以降の量的緩和の縮小に向けた検討も進めようとしていることが、ECBによる政策運営の難しさの根源にある。

政策判断

既に欧米メディアが報道しているように、政策判断に関する議論の冒頭部分で、政策変更に伴う資産価格のre-pricing-特に為替レートのovershootのリスク-に対する懸念が示された。加えて、景気拡大とインフレの目標への収斂にとっては良好なfinancial conditionの維持が不可欠であり、そのためには強力な金融緩和が前提になっていることが確認された。

その上で、政策理事会メンバーは、少なくとも現時点では、インフレ目標の達成に向けた持続的で自律的な動きはみられないこと、インフレ目標の達成は現在の金融緩和スタンスに大きく依存すること、「丁寧で粘り強い(steady-handed and persistently)」金融政策を当面続けることが必要であること、について概ね合意した。

こうした議論をもとに、金融政策の緩和度合いはECBが実施しているすべての政策手段によって評価されるべきであり、インフレに向けた動きに関する評価に基づいて、政策手段全体の運営を決定すべきとの指摘がなされた。そして、資産買入れの継続期間やペースを切り離して議論すべきではないとした。

この議論は、ECBによる「正常化」を展望する上でインプリケーションを有している。なぜなら、とりあえず量的緩和を縮小、終了し、その後に利上げを考えるアプローチではなく、インフレの目標達成に向かう動きを展望しながら、「正常化」を一貫したプロセスとして進めるとの考え方が推察されるからである。

それ自体は合理的であるし、市場が来年央に(つまり、量的緩和の終了後直ちに)利上げ開始を予想していることとも整合的である。しかし、こうした考えに拘泥しすぎると、基調的なインフレが確実に改善する見通しが示せない限り、「正常化」の第一歩である量的緩和の縮小に着手しえなくなる。しかも、おそらく「切り離し」論の背後にいるドイツが懸念するように、量的緩和の技術的制約や副作用の程度も次第に切迫してくる。この点は、ECBの「正常化」の上で一つのポイントとなりそうだ。

コミュニケーション政策

上記の為替レートに関する懸念に基づき、政策理事会メンバーは、景気拡大に対する自信を示すと同時に、「粘り強く、忍耐強い(persistent and patient)」金融政策を維持することの重要性を強調する、というバランスを維持することが大切であると確認した。そして、将来の政策運営に関する発言のタイミングについても慎重さが重要である点についても概ね合意が成立し、具体的には「秋(autumn)」とすべきことでも合意した。

「秋」という表現に止めるべきとしたのは、政策理事会としてドラギ総裁の記者会見での発言に歯止めをかける意図も感じられ興味深い面がある(ただし、ドラギ総裁は実際には景気見通しの改訂に言及することで9月を示唆した)。もちろん、政策理事会にとってより重要なことは上記のバランスの維持であるが、景気が力強く拡大する中で、市場は量的緩和の縮小の方向性自体は既に織り込んでいるだけに, ECBの口先介入には自ずから限界が存在する。

Writer’s Profile

井上哲也

井上哲也Tetsuya Inoue

金融ITイノベーション研究部
部長
専門:中央銀行、国際金融

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