1. HOME
  2. ナレッジ&インサイト
  3. 研究員の時事解説
  4. 木内登英のGlobal Economy & Policy I…
  5. 働き方改革と人手不足深刻化の功罪

働き方改革と人手不足深刻化の功罪

2017年07月25日

<要旨>
政府が推進する「働き方改革」の大きな柱は、①長期労働時間の抑制、②同一労働同一賃金の2つである。その経済的側面に注目すると、企業の人手不足をより深刻化し、企業活動を供給面から制約してしまう、また人件費を高め企業の収益を圧迫してしまう可能性もあるだろう。人手不足傾向が強まることで、企業の省力化投資や業務効率化の取り組みが促されるというプラス面も指摘されるが、2013年末には既に人手不足傾向は明確になっていたが、その後も経済効率を高める効果は明確に確認できない。逆に供給制約がより意識されることで企業の成長期待が低下し、それが設備投資の抑制を通じて経済効率や潜在成長率を下げてしまう可能性や、賃金・物価上昇率の高まりを妨げてしまう可能性もあるだろう。生産効率、生産性上昇率の向上を促し、生活の質向上をもたらす実質賃金上昇へと繋げていくためには、供給制約の高まりを促す「高圧経済」政策ではなく、地道な構造改革を進めることこそが政府に求められる最も重要な役割である。

「働き方改革」の企業活動・収益への影響

政府が推進する「働き方改革」の大きな柱は、①長期労働時間の抑制、②同一労働同一賃金、の2つである。ともに、勤労意欲を高めることを通じて労働生産性向上効果を期待しつつも、社会厚生上の観点に基づいて進められている側面が強いと考えられる。他方で、その経済的側面に注目すると、人手不足が深刻な現在の環境のもとでの長期労働時間の抑制は、企業の人手不足傾向をより深刻化させ、運輸業、飲食業、建設業などを中心に、企業活動を供給面から制約しかねない要因でもある。また長期労働時間の抑制、同一労働同一賃金ともに、人件費を高め、企業の収益を圧迫する要因ともなりえる。

「雨降って地固まる」的な発想

一方、「働き方改革」が企業にもたらす経済メリットを指摘する向きも少なくない。第1に、労働時間の縮小と時間当たり賃金の上昇は、個人消費活動を刺激し、企業も売上高の増加という形でその恩恵を受けることになる、第2に、長期労働時間の抑制などの労働環境改善を通じて、企業は人材確保がより容易になる、第3に、労働生産性上昇を促す、などが指摘される。このうち第2は、個別企業にとっては人手不足対策に効果を発揮するとしても、企業が労働者を奪い合う構図の中で、経済全体でみれば人手不足対策としての効果は大きくは期待できない。

他方、第3については、さらに2つの側面に分けて考えることができる。一つ目は、長期労働時間の抑制などの労働環境改善、非正規社員の賃金上昇は、労働者の働く意欲(モラール)を高めて、労働生産性向上効果を発揮するという点。2つ目は、「働き方改革」によってより人手不足が深刻になることや、人件費が高まるという逆境を受けて、生産効率を高めるような企業の取り組みが促される点である。具体的には、省力化投資の増加や、人手不足をきっかけに、夜間配送など顧客に対する過剰サービスが是正されることが、労働生産性上昇をもたらすことなどである。ちなみに現状においても、人件費上昇への企業の対応としては、生産効率を高めるような取り組みがメインであり、値上げによる価格転嫁が実施されているのは、運輸業など一部に限られている。

深刻な人手不足問題が日本経済の効率性向上に結び付くのであれば、それはまさに「雨降って地固まる」的な状況である。

人手不足は潜在成長率、賃金・物価上昇率に悪影響も

しかしながら、建設、飲食などで人手不足問題の深刻さが広く認識され始めたのは最近のことではなく、2013年末頃には既に世間の注目を多く集めていた。そして当時から、人手不足が省力化投資を促す効果も期待されていたのである。しかしその後も、国内での設備投資は大きな盛り上がりを欠く状況が続いている。また、日本銀行が推計している潜在成長率を見ても、2013年末頃をむしろピークにして、潜在成長率は緩やかな低下傾向を辿ってきたのである(図表1)。その内訳をみると、技術革新などを反映するTFP(全要素生産性)増加率の寄与度が着実に低下傾向を辿っており、それが潜在成長率の低下傾向の主因を成している状況である。つまり、人手不足が生産性上昇を促す効果は、少なくとも短期的には大きくない。他方で、人手不足という供給制約が経済活動に与える悪影響は、短期、中長期共に大きい可能性があるという点に留意したい。

この悪影響のうち、長期にわたって日本経済の活力を削いでしまう可能性があるのは、自社に限らず日本全体で人手不足が深刻化することに伴い、経済活動が供給面から制約を受けることを強く意識した企業が、先行きの成長期待を下げてしまう可能性がある点である。この場合、将来の日本経済の成長及び自社製品の国内販売増加への不安などから、企業が設備投資を抑制する傾向を強める可能性がある。その場合には、資本ストック及びTFPの成長寄与が低下することで潜在成長率が下振れ、それが企業の成長期待をさらに押し下げてしまうという悪循環が生じる可能性がある。さらにその際、企業は長期的な固定費となる正規雇用者の基本給をさらに抑制する可能性もあろう。それによって、賃金、物価の上昇は一層妨げられてしまうだろう。

米国でも「高圧経済」政策は修正へ

人手不足傾向をより深刻化させる経済政策のプラス面を強調する議論は、政府の労働市場改革に限らない。賃金、物価上昇率を高める観点から、財政、金融政策を通じて、需給がひっ迫し、過熱した経済状況を生み出すことをむしろ良しとする意見も実際に聞かれるところである。

政策的に経済の過熱状態を一定期間容認することを通じて、経済構造の正常化を図る政策は「高圧経済」政策とも呼ばれ、昨年にはFRB(米連邦準備制度理事会)のイエレン議長がそれを明確に支持していた。しかし現状ではFRBはそうした考え方に距離を置いているように見える。需給が過度に逼迫し、人手不足が深刻化した状態では、通常では働かないような質の低い労働者が雇用されることで、経済効率が下がることも懸念されている模様である。

過度な需給ひっ迫は経済・金融を不安定化させる

既に需給ギャップが明確にプラスである(実際のGDPが潜在GDPを上回る)状況になるなかで、さらに需給ひっ迫を助長するような政策が果たして妥当なのであろうか?既に指摘したように、人手不足環境下での過去数年の経験に照らしても、その労働生産性向上効果は少なくとも短期的には限られる一方、経済効率をむしろ低下させてしまう可能性もある。さらに供給面から成長が制約されることは、短期的にも、企業の経済活動や収益環境を損ねることで、経済あるいは金融市場を不安定にさせてしまう可能性もあるだろう。景気過熱の状態のもとで、仮に賃金、物価上昇率が共に一時的には高まるとしても、両者が同じペースで高まり、実質賃金に変化を与えなければ、人々の生活の質は改善しないのである。

この点からも、生産効率の高まりを促し、生産性上昇率の向上を実質賃金上昇に繋げていくためには、「高圧経済」政策ではなく、地道な構造改革を進めることが政府に求められる最も重要な役割である。

Writer’s Profile

木内登英Takahide Kiuchi

金融ITイノベーション事業本部
エグゼクティブ・エコノミスト
専門:内外経済・金融

この執筆者の他の記事

木内登英の他の記事一覧

このページを見た人はこんなページも見ています