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日銀の黒田総裁の記者会見-内生変数

2017年06月19日

はじめに

米欧の専門家からみると、実際のインフレ率が目標に対してまだかなり距離がある日本で、「正常化」に関する議論が注目を集め始めたことは奇妙に映っている面があろう。しかし、今回の記者会見でも多くの質問がこの点を巡るものとなった。いつものように内容を検討したい。

金融経済情勢の判断

「正常化」に関する議論の前に、金融経済情勢の判断について触れておきたい。今回の声明文は、景気拡大のモメンタムが高まったとの判断を示している。つまり、短観で業況判断に慎重さもみられたため、業況感に関する記述のみは後退したが、輸出の前提となる海外情勢について、新興国の回復の弱さに関する言及を削除したほか、個人消費の評価も若干引き上げた訳である。

また、インフレ率-特に日銀自身が公表する指標が示唆する基調的インフレ率-は弱いままであるが、記者会見の中で黒田総裁は、労働需給に敏感と思われるパート労働の賃金が上昇していることや、春闘で4年連続の賃上げが実現したことなどを指摘した。そして、最終的にはこうした名目賃金の上昇がインフレ率の押し上げに繋がるとの見方を確認した。

イールドカーブ・コントール

現在の「量的質的金融緩和」の運営に関しては、今回の記者会見でも、国債買入れの実際の運営に関する質問が示された。つまり、足許での実際の買入れ額が前年比の純増額で60兆円程度になっていることを踏まえて、現在のガイドラインである年間80兆円の純増を見直すべきではないかとの指摘である。

これに対する黒田総裁の回答は、実際の買入れ額は様々な要因によって変動しうるという、基本的には以前と同じ内容であった。その上で、黒田総裁が、イールドカーブ・コントロールが今や「量的質的金融緩和」の基本的な枠組みである点を指摘し、こうした枠組みの下で国債の買入れ額が「内生変数」となることを明確に指摘したことは、今後の見直しとの関係で注目すべき点であろう。

金融政策の「正常化」

前回(4月)の記者会見と同じく、今回も議論の大半はこの点を巡るものとなった。まず、一部の記者は、現時点に至るまでインフレ目標が達成できていないにも拘らず、「正常化」を巡る議論が関心を集めている理由を質した。これに対し黒田総裁は、1)FRBやECBが「正常化」に向けた歩みを始めたことで、日銀による「正常化」への連想が働いた、2)国内経済が顕著に改善したので、「正常化」に関心が転じた、という二つの理由が考えられるとした。

このうち、2)に関しては議論の余地もあろう。つまり、このコメントが、国内の経済主体は2%の物価目標が達成されなくても現在の経済状況に満足していることを反映しているのであれば、日銀の政策目標の位置づけに関して無視し得ない意味合いを持ちうるからである。つまり、国内の経済主体によるインフレ目標の達成に係るコストとベネフィットに関する理解が変化していることを示唆することが考えられる。

同時に、現時点から「正常化」が関心を集めている理由についても、黒田総裁が示した上記の二つの点に加えて、三つ目の理由を挙げることもできる。つまり、少なくともエコノミストや市場関係者の一部は、金融政策の「正常化」における損失やコストに対する懸念を抱いていることである。こうした状況の下で、実際に黒田総裁をはじめとする日銀の執行部は、この間、しばしば国会に招致され、損失やコストの大きさやそれらが政策運営や経済に与える影響について質問されている訳である。

実際、今回の記者会見でも、記者からは「正常化」における損失やコストに関する質問が示された。これに対し、黒田総裁はかねてからの慎重なスタンスを維持し、日銀内ではシミュレーションを行っているが、そうした結果を公表することは却ってミスリーディングであるとの考えを確認した。

黒田総裁はその理由として、推計結果が政策金利やイールドカーブの形状、資産規模などの推移といった多様な仮定によって大きく左右されることを挙げ、特定の結果のみを公表することの意味が乏しいと主張した。加えて、こうした推計が「量的質的金融緩和」を解除した後の経済状況に関する仮定にも大きく依存することを指摘した上で、損失やコストの発生自体が日銀の金融政策に対する信認の毀損に繋がることはないとの意見を明確に主張した。

こうしたやりとりを受け、他の記者は、シミュレーションの具体的な結果を公表するのでなく、「正常化」の基本方針を公表することの意味について質した。この点に関しても黒田総裁は慎重なスタンスを維持したが、「量的質的金融緩和」の解除においてポイントとなりうるいくつかの点について考えを示した。

例えば、株価が堅調に推移している点を踏まえ、国債買入れの減額を始める前にETFの買入れを見直す可能性があるかどうかを質した記者に対し、黒田総裁はその可能性がある点を認めた。また、「正常化」の過程において、イールドカーブ・コントロールによる長期金利の誘導を活用するかどうかを質した記者に対しても、(O/Nの)政策金利やバランスシートの規模といった手段に加えて、いわば補助的な手段として活用する可能性を認めた。

以前は、黒田総裁がこうした質問に対し「時期尚早」との考え方でコメントを避けた経緯を考えると、上記の国会での対応を含め、「正常化」に関するコミュニケーションには若干の変化も窺われる。記者会見でも指摘されたように、今や、市場やエコノミスト、国会だけでなく金融業界-マイナス金利政策導入の際のトラウマという面もあろう-からも対話を求める動きがみられる中で、このように徐々に情報を開示しつつ共通理解の形成を目指すことが、日銀によるコミュニケーション戦略であるのかもしれない。

ただし、「正常化」のポイントごとに考えを示すのであれば、そうした回答のベースとなっている全体像をまとめて公表することが望ましいようにも思われる。現在のやり方には、金融市場や金融機関が「正常化」を先取りした反応や行動を示し、結果としてfinancial conditionが必要以上に早いタイミングでタイト化するリスクを抑える狙いもあろう。しかし、「正常化」に関する議論が実際に高まっている以上、日銀が考える枠組みを適切に共有することの意味は決して小さくないし、断片的な開示の繰り返しでは、枠組み全体の整合性などについて誤解を招くリスクも残るように見える。

Writer’s Profile

井上哲也

井上哲也Tetsuya Inoue

金融ITイノベーション研究部
部長
専門:中央銀行、国際金融

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注目ワード : インフレ目標

注目ワード : マイナス金利

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