1. HOME
  2. ナレッジ&インサイト
  3. 研究員の時事解説
  4. 井上哲也のReview on Central Banking
  5. ECBのドラギ総裁の記者会見-Need to be pati…

ECBのドラギ総裁の記者会見-Need to be patient

2017年06月09日

はじめに

市場の注目を集めた今回の政策理事会は、政策金利の緩和バイアスの削除を決定した点で、金融緩和の「正常化」に向けた歩みをもう一歩進めることとなった。もっとも、今回改訂された新たな見通しではインフレ率が下方修正されたほか、ドラギ総裁自身も賃金の本格的上昇に時間を要することを認めるなど、「正常化」に着手する合理性に影を落とす面もあった。こうした点を中心に、いつものように内容を検討したい。

金融経済情勢の判断

今回改訂されたECBスタッフによる実質GDP成長率の見通しは、2017~19年にかけて+1.9%→+1.8%→+1.7%とされ、前回(3月)が+1.8%→+1.7%→+1.6%であったのに比べて、若干ではあるが全期間にわたって上方修正された。

主たる需要項目の面では、2017~19年にかけて、個人消費の伸びが若干引き上げられたほか、設備投資も2017年を中心に全期間にわたってやや大きめの上方修正が加えられた。輸出も2017年を中心に上方修正されたが、内需の拡大に伴って輸入も伸びるため、純輸出の増加は必ずしも大きくないとみられているようだ。ドラギ総裁は、記者会見の中でも、企業のセンチメントが2007年以来の高水準に達した点やPMIが欧州債務危機前の水準を回復した点などを強調し、景気拡大がモメンタムを強めつつ広がりを持っていることへの自信を示した。

これとは対照的に、ECBスタッフによるHICPインフレ率の見通しは、2017~19年にかけて+1.5%→+1.3%→+1.6%とされ、前回(3月)が+1.7%→+1.6%→+1.7%であったのに比べて、2018年を中心に全期間に亘って下方修正された。記者会見においてドラギ総裁は、下方修正が2017~18年と足許を中心とすることを指摘した上で、その理由が原油価格の上昇が期待できなくなった点であると説明する一方、基調的なインフレ率に対する見方は前回(3月)と大きく変わらないことを強調した。

もっとも、ドラギ総裁は、インフレ目標の達成に疑問を投げかけた記者の質問に答える形で、基調的インフレに大きな影響を与える賃金の伸びが景気拡大に対して遅れている点を認めた。加えて最近のECBスタッフによる分析(直近のEconomic Bulletinに所収)に言及しつつ、賃金上昇の鈍さが、①バックワードルッキングな賃金交渉の拡大、②雇用機会の顕著な拡大、③part time jobやtemporaryな雇用などlow qualityな雇用の拡大、④労働市場改革の成果としての労働力の流動性上昇、といった構造要因による面も大きいとの見方を示した。

もちろん、ドラギ総裁も、こうした構造要因のために賃金上昇が長期的に抑制されるとまでは主張せず、先に見たような景気拡大の加速の結果として、マクロの需給ギャップが縮小していけば、いずれは名目賃金に上昇圧力がかかると説明した。つまり、労働需給の循環的なタイト化に伴う賃金上昇のメカニズムに自信を示すとともに、その実現までには忍耐強く待つことが必要(need to be patient)と強調した。

これらは我々にとって馴染み深い議論であるが、ユーロ圏の場合は労働市場のslackがまだ大きい点では日本と異なる面もあろう。実際、ドラギ総裁も、域内でばらつきは大きいものの、失業率が高水準に止まる国が残る点を説明したほか、同じく市場の注目を集めたECBスタッフによる分析を引用し、FRBのイエレン議長が注目していたとの同様な指標を推計すると、ユーロ圏の実質的な過少雇用(under-employment)は依然としてかなり大きいとの見方を示した。

金融緩和の正常化

冒頭に見たように、今回の政策理事会は政策金利に関する緩和バイアスを削除した。具体的には、前回(3月)までの「政策金利が長期にわたって現在の水準ないしそれ以下の水準に維持されると予想する」との表現を「政策金利が長期に亘って現在の水準に維持されると予想する」に変更した訳である。

これに対し、記者からは上記のようにインフレ見通しを下方修正したこととの整合性を問う質問が複数示された。これに対しドラギ総裁は、見通し引下げの主たる背景が原油価格の動向にあり、基調的インフレに対する見通しを変えた訳ではないことを強調した。その上で、今回削除した緩和バイアスは、景気や物価に関するtail riskを抑制することが趣旨であり、従って、ECBとしてtail riskが低下したと判断する以上、削除するのが当然と主張した。

さらにこの点に関してドラギ総裁は、政策金利に関する緩和バイアスは政策理事会メンバーの「予想」を集約したものであるのに対し、量的緩和を本年末まで継続し、その後も必要に応じて規模や期間の面で強化する用意があるという量的緩和に関するバイアスは、むしろコミットメントの性格が強い点で、両者の位置づけは異なるとの説明も行った。

その上で、記者からは、量的緩和のコミットメントを変更するための具体的な条件や、量的緩和の縮小(taper)から利上げに至る時間的視野といった質問も提示されたが、ドラギ総裁は具体的なコメントを避けた。一方で、インフレ率の目標に向かう動きが持続的(durable)かつ自律的(self-sustained)であることが確認できることが重要であると述べた。同時に、上記の政策金利の緩和バイアスの修正を除いては、今回の政策理事会では金融緩和の「正常化」に関する具体的議論はなかったと説明した。

ユーロ相場やユーロ圏の長期金利はこれらの点に関するドラギ総裁のコメントに相応に反応しただけに、インフレ見通しの下方修正も含めて、市場は今回のドラギ総裁のスタンスをややdovishと理解した面があろう。ただ、ECBも、市場が正常化を先取りしようとする結果、景気や物価に関して早計な形でfinancial conditionが引き締まる事態は避けたいはずであり、その意味では市場のこうした反応も結果オーライという面もあろう。

おわりに

今回の政策理事会は、通例による域内国開催の一環として、エストニアの首都のタリンで開催されたため、ECBの広報部門の配慮により、最後の質問の機会は同国の記者に与えられた。そこでこの記者は、景気拡大や物価上昇が量的緩和の効果によるのかどうか改めて質した。当然ながらドラギ総裁は、ユーロ圏経済の広範な回復には量的緩和が貢献したとの自信を示したが、もしもこの質問が、量的緩和の導入の際と量的緩和の解除の際とで、効果に関するECBの説明が非整合的になりうる点を暗に批判したのであれば、大変興味深い指摘だったことになる。

Writer’s Profile

井上哲也

井上哲也Tetsuya Inoue

金融ITイノベーション研究部
部長
専門:中央銀行、国際金融

この執筆者の他の記事

井上哲也の他の記事一覧

注目ワード : インフレ目標

このページを見た人はこんなページも見ています