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イエレン議長のジャクソンホールでの講演-Diversified Views

2016年08月29日

はじめに

今年のカンザス連銀主催のコンファレンスのテーマは、「将来に向けてResilientな金融政策の枠組みを設計する」である。従って、イエレン議長の講演テキストも、米国が次の景気後退に直面した際に講ずるべき政策手段に関する議論が中心であった。ただし、イエレン議長は、こうした本論に入る前に足許の金融経済情勢にも触れ、利上げに向けた条件が強まったことにも言及している。

その意味で、今回の講演は、FRBの金融政策を短期、中長期のいずれから見る上でも重要な手がかりを与える内容になっている。

短期の政策運営

イエレン議長は、講演の実質的な冒頭部分(2ページから4ページ冒頭)で、個人消費を中心とする現在の景気拡大は、雇用の改善を実現するのに十分な強さを持つとの判断を示した。加えて、インフレ率も、過去のエネルギー価格や輸入品価格の低下により2%を下回っているが、今後数年で目標に近づくとした。そして、最近数ヶ月の間に利上げに向けた条件が強まったと述べた。

こうした議論自体は決して新味はないし、実際、この部分の文章の多くの(実質的な)主語はFOMCであって、7月FOMCの議論を再現したに過ぎない面もある。その上で気になる点を挙げると、第一に、イエレン議長はコンファレンスのテーマに関する議論だけを行う選択肢があったのに、敢えて短期の政策運営を取り上げたことである。第二に、上に見た利上げに向けた条件の強まりに関する主語がイエレン議長自身になっていて、こうしたシナリオへの自信を示したことである。

本コラムの執筆時点で、米国のメディアの受け止め方は区々であるし、イエレン議長も、その直後の部分(3ページ)で、利上げのパスに関する予想誤差が極めて大きいことも指摘しており、先行きの不確実性に注意を喚起していることは事実である。しかし、この点もあくまで来年末や再来年末の政策金利の水準が不確実と言っているのであり、そこに至る利上げのパスに関する言及であることに注意する必要があろう。

外部の観察者からはイエレン議長のFOMC内でのリーダーシップを問う声も少なくないように見えるが、イエレン議長が自分の見方をこのように明確に示したことの意味は小さくないように思う。

中長期の政策運営

今回の講演の4ページ以降はコンファレンス本来のテーマに関わる議論である。まず、イエレン議長は、2008年の金融危機前には当座預金の規模も小さく、(今から考えれば)小規模なオペによって短期金利を誘導し、それがイールドカーブ全体に伝播することで政策効果を挙げていたことを確認した。

しかし、金融危機の顕在化以降は、政策金利の引下げを使い果たしてゼロ金利制約に直面したが、2006年に議会が認めた当座預金への付利(実施は2011年から2008年に前倒し)により、当座預金の供給量と市場金利の誘導目標との関係を断ち切ったことの意味が大きいと説明した。さらに、(銀行に限らず)幅広い取引相手とのO/Nの売現先オペを導入したことで、市場金利の誘導可能性は一段と高まったとの理解を示した。

さらに、イエレン議長は、金融危機の中でFRBが新たに導入した大規模な資産買入れやフォワードガイダンスについても、イエレン議長は、家計や企業にとっての中長期のファンディングコストを低下させた点を指摘し、経済活動の活発化に関する役割を果たしたことを示唆した。

イエレン議長は、「正常化」のプロセスにも言及し、FOMCも当初は保有資産の圧縮を進めた上で利上げと考えていたが、2013年の"Taper tantrum"の経験も踏まえ、積極的な資産圧縮が金融市場や経済に与える影響を考慮して、利上げ優先に戦略を転換したことを説明した。こうした順序での正常化を実現する上で、当座預金に対する付利が大きな役割を果たした点は言うまでもない。

「正常化」の次の段階に関し、イエレン議長は、国債保有に係る償還金での再投資を停止するが、(市場売却をせず)償還によるバランスシート規模の縮小を進めるには数年を要することを認めた。一方、この間に景気後退が生じても、当座預金に対する付利金利の変更によって対応することが原則との考え方を示唆した。

しかし、現実には様々な理由によって政策金利の予想値は抑制されており、仮にFOMCメンバーが政策金利の「長期」の値とする3%程度であった場合、過去の景気後退における政策金利の平均的な引下げ幅(5.5%)には大きく不足することを認めた。

こうした問題への対応に際し、イエレン議長はReifschneider氏の推計を引用する形で、政策金利を①ゼロ金利以下に下げる、②ゼロまでしか下げない、③ゼロまでしか下げないが、資産買入れやフォワードガイダンスを同時に実施する、を比較し、①より③が長期金利の引下げやインフレ率の引上げに効果を持つと主張した。もちろん、イエレン議長も、実証結果が③の効果を過大評価している可能性も認め、将来のFRBが十分な利下げ余地のない中で景気後退に直面した場合の問題への認識も示したが、最終的には③のアプローチが有効との考え方を維持した。

なお、イエレン議長もより深い景気後退に備えて他の選択肢を探るのは自然としたが、他の資産の買入れにはコスト・ベネフィットの慎重な見極めが必要と指摘するとともに、物価水準目標や名目GDP目標に関しては、FOMCとして活発に議論している訳ではないとして消極的な考えを示唆した。

このように、将来の景気後退の際の政策対応として、イエレン議長が間接的ながらマイナス金利政策に否定的な考えを示したことは興味深い。先にBOEのカーニー総裁もマイナス金利政策に否定的な考えを示しただけに、この政策手段に関しては日欧と米英の中央銀行間で意見が分かれる構図が明らかになった。

イエレン議長のこうした考え方は尊重される必要があろうが、現実の政策運営としては問題も残る。イエレン議長も認める通り、引用した推計には様々な不確実性がある。加えて、米国内では大規模な資産買入れに対するアレルギーも根強い中で、FRBは、マイナス金利を採用しない理由について、計量モデルの推計結果だけに依存するのでなく、コスト・ベネフィットをより幅広い点から検討した結果として説明する必要がある。

もちろん、イエレン議長もそんなことは分かっているであろうが、それでも計量モデルに立脚した議論にした理由が、このコンファレンスの本来のテイストへの配慮なのか、それとも、現時点でマイナス金利を詳細に議論すると却って不安心理を煽るとの懸念なのか、どちらが重要だったのか外部からはわからない。

Writer’s Profile

井上哲也Tetsuya Inoue

金融イノベーション研究部
主席研究員
専門:中央銀行、国際金融

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