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日銀の黒田総裁の記者会見-中期的な意味合い

2016年06月17日

はじめに

今回のMPMに関しては、金融政策の現状維持を決定したこと自体よりも、円相場の上昇が加速的に進んだことが注目を集めている。円高の理由の一つは「イベント」リスクであり、結果如何では減衰することも考えられる。しかし、いかなる理由であっても、昨年夏以降に円高が進んできたことは、経済動向だけでなく、中期的な政策運営にも様々な影響を持ちうる。

景気判断

今回のFOMCはSEPやdot chartのレビューのタイミングであったが、日銀の経済や物価の見通しの改訂は次回(7月)のMPMで行われる。しかし、この点を考慮してもなお、日銀による今回の景気判断は前回会合(4月)からほとんど変わっていない。変更点は、住宅投資の評価を引き上げたことと、インフレについて(ユーロ圏と同じく)足許はマイナスになるとの見方を示したことだけである。

その意味でも、今回の声明文のポイントは、むしろ国際金融市場の不安定性に関する言及である。つまり、こうした不安定性が経済主体のセンチメントを悪化させたり、デフレマインドの払拭を遅延させたりするリスクがあるとした。(FOMC後の記者会見におけるイエレン議長ほどにストレートではなかったが)黒田総裁は、こうした不安定性の背景の一つが、Brexitを巡る不透明性の高まりであることを示唆した。

危機対策と追加緩和

日本の金融市場にとっては、国際金融市場の不安定性は円高と長期金利の低下として顕現化している。記者会見では、市場の安定化のためにどのような手段を活用するかを問う複数の質問がみられた。これに対し、黒田総裁は主要な中央銀行間による協調対応の活用を示唆した。その上で、具体的な手段への言及を避ける一方で、日銀が既に主要な中央銀行と緊密な情報交換を行っていることを説明した。

一般に、一時的であるとみられる金融市場のストレスに対し、ある種の危機対策で対応することは合理的に見える。加えて、世界的な金融危機への対応の経験を通じて、市場は主要な中央銀行による危機対策には相応の信頼を持っているように見える。それでも、今回の円高に関しては一時的でない可能性のある背景も存在するだけに、市場から見れば、危機対策を講ずるだけで十分であろうかという問いが発せられるかもしれない。

そうした背景の一つは、日米の金融政策運営の先行き見通しの変化がある。つまり、米国に関しては、今回のDEPやdot chartを見る限り、FOMCは次回の利上げに関して一段と慎重であるとの印象を受けたかもしれない。他方で日本に関しては、4月のMPMでインフレ目標の達成見込みを再び延期したにも関わらず、追加緩和の実施を見送っただけに、インフレに対する政策反応関数が減衰しているとの見方がある。

これらを総合すると、円高圧力は特定のイベントだけに依存するのでなく、一定の期間は残存することも考えられる。そうなると、今回の円高も金融システム安定に関する問題から、実体経済に関わる問題へと変質する。その結果、日銀は、円高の結果として生ずるインフレや経済活動への下押し圧力を抑制するため、追加緩和を検討することになる。実際、本日の記者会見でも、黒田総裁は、円高の定着に伴う経済活動への負の影響に対する懸念を示した。その上で、必要な場合には躊躇なく追加緩和に踏み切る考えを再び強調した。

政策の中長期的戦略

もっとも、円高進行に対して追加緩和に踏み切ることは、日銀による政策運営の戦略を一段と複雑化しかねない。

第一に緩和手段の選択である。今年に入って特に、日銀は国債買入れからマイナス金利政策へウエイトを移すべきとの議論が目立つ。そうした議論の背後には様々な理由が挙げられており、その代表例は「いずれは、日銀のオペに対して価格弾力的に対応しうる主体はどこかで消滅する」との主張である。加えて、本日の記者会見でも取り上げられたが、消費税率の引き上げが延長された下で、日銀が大量の国債買入れを継続することは「財政ファイナンス」との批判を受けやすくなる。

この間、NIRPに対する批判も根強く、金融セクターからの不満に加えて、特に高齢者を中心とする家計の不満も目立つ。従って、日銀が仮にNIRPの強化を図る場合も、金融業界がビジネスのやり方やITシステムを調整するための時間的猶予を確保することが重要である。

第二に、そしてより重要なのは金融政策の中期的戦略である。本コラムでも何度か取り上げたように、家計は既に「できるだけ早く2%インフレを達成する」ことに興味を失いつつあるようだ。もちろん、このこと自体は日銀のせいではない。なぜなら、2%インフレ自体に対する批判は、同時に名目所得の増加が低迷していることによる面も大きい。こうした状況でインフレ率が上昇すると、家計の実質購買能力が減退するからである。

これらを考慮すると、インフレ目標の「柔軟化」(特に達成時期に関して)は合理的に見えるし、家計の幅広い支持を得ることが展望できる。加えて、曲がりなりにも景気が強気の見通しに沿っている現在は、インフレ目標の中期的な見直しを行うのに良い時機にも当たっているように見える。

それだけに、足許で円高が加速していることは、インフレ目標の(時間的な)柔軟性を高める方向での見直しをやりにくくすることになる。さらに、外国為替市場がこうした変化の兆しを捉えて円高方向の動きを意識しているとすれば、インフレ目標の「柔軟化」には予想以上に高いハードルがあることを意味する。

日本国債のイールドカーブ

日銀によるNIRPに関する謎の一つであり、金融業界によるNIRPに対する批判の根源の一つでもあるのは、NIRPの導入後に日本国債のイールドカーブが顕著にフラット化したことである。その理由を巡っては、この間に様々な議論が行われたが、説得力と合理性を持つような決定的な仮説はみられない。また、本日の記者会見で黒田総裁が示唆したように、日銀の内部にも様々な仮説が残存しているようである。いずれにせよ、日銀がマイナス金利の強化による追加緩和を行うのであれば、イールドカーブのフラット化の要因をきちんと理解することは、少なからぬ意味を持つように見える。

Writer’s Profile

井上哲也Tetsuya Inoue

金融イノベーション研究部
主席研究員
専門:中央銀行、国際金融

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