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黒田総裁の記者会見-Invisible elements

2015年10月31日

はじめに

日銀が金融緩和の現状維持を決定したことに対し、市場の反応が限定的であったのは、絶妙なタイミングでの補正予算に関する観測記事もさることながら、そもそも市場の見方が分かれていたことを反映したものであろう。それでも、今回の記者会見では「量的質的金融緩和」の本質に関わる論点も提示されたように感じた。

経済と物価の見通し

こちらは市場の予想が一致していた通り、MPMは2015年度の見通しを大きく引き下げた。つまり、実質経済成長率は前回(7月)時点の+1.7%から+1.2%へ、コアCPIインフレ率は+0.7%から+0.1%へ下方修正された。なお、2016年度についても、実質経済成長率は概ね維持されたが(+1.5%→+1.4%)、コアCPIインフレ率は0.5%ポイント引き下げられた(+1.9%→+1.4%)。

インフレ見通しを大きく引き下げたことの必然的な結果として、日銀はインフレ目標の達成時期についても、「2016年度前半」から「2016年度後半」へと後ずれさせた。「量的質的金融緩和」の導入時点では2年程度の達成が展望されていたが、結果的には4年近くかけて目標の達成を目指すことになった。

しかし、このような下方修正にも関わらず、MPMは総じて強気なメッセージを発信している。第一に国内経済は緩やかに回復との見方を維持した。つまり、家計支出が雇用・所得環境の改善に支えられて堅調であるほか、設備投資も企業収益が過去最高水準まで増加していることで前向きなスタンスが維持されているとした。

第二に新興国経済についても次第に減速を脱するとの見方をメインシナリオとして採用した。その際のメカニズムとしては、「基本的見解」の中では、先進国経済の堅調な成長が新興国にプラスの波及効果をもたらすとの理解を示している。

つまり、黒田総裁が記者会見で示唆したように、MPMとしては、見通しの下方修正の原因となった要素-予想外に深くかつ長い原油価格の低迷、新興国経済の回復の遅延による輸出の不振、国内の天候不順による消費への影響-などは主として「過去の話」であって、これらによる影響はこれ以上悪化することはなく、徐々に収束に向かうと理解した訳である。

もっとも、黒田総裁も、メインシナリオが相応に良好であっても、経済と物価の双方についてリスクは下方にあると認めた。この点は、日銀が今回から見通しに添付した新たなチャートからも確認できる。様々な意味で不確実性の高い2017年度を措くとしても、2016年度は特にコアCPIインフレ率の見通しについて、MPMメンバーの9人中4人が下方リスクを示唆している(▼印)。その理由は直接には開示されていないが、「基本的見解」のリスク要因のパートには、原油価格の低迷の長期化以外にもいくつかファンダメンタルな要素が指摘されている。

インフレ目標へのコミットメント

今回の記者会見では、興味深いことに「量的質的金融緩和」の本質に関わるいくつかの点が取り上げられた。

第一に、日銀がインフレ目標の達成時期を数次にわたって延期することは、「量的質的金融緩和」に対する信認に影響を与えるのではないかという懸念が数名の記者によって示された。これに対し黒田総裁は、今回のMPMでは追加緩和に関する議論はなく、MPMメンバーが現時点では金融緩和の現状維持が適切との判断を示したことを確認した。そして、「基調的インフレ」が改善を続けていることと、今回の見通しに示された緩やかな景気回復がメインシナリオであることをその理由として挙げた。

ただし、ここには議論の余地もあろう。例えば、日銀が説明する「基調的インフレ」の構成要素(ないし推計のための要素)のうち、インフレ期待に関するサーベイ結果の中には、黒田総裁も認めたように下方に動きはじめたものもある(例えば短観における回答結果)。この点に関しては、より重要な問題として、「基調的インフレ」は概念としては合理的であるとしても、外部の観察者にとっては目に見えないものであるだけに、コミュニケーション・ポリシーの手段としては微妙な性格を持つ点も挙げられる。

第二に、長期的に見ても日銀は2%インフレを達成できないのではないかという疑問が数名の記者から提示された。この点には、米欧でも流行している議論からの影響も感じられる。これに対し黒田総裁は、まず、「量的質的金融緩和」が幅広い経済主体のインフレ期待を大きく引き上げる効果を達成した点を強調した。その上で、実際のインフレ率が当初の期待ほど上昇していない事実を認めつつも、下方圧力を生じた要因の殆どは一時的であり、実際のインフレ率も徐々に伸びを高めるとの見方を確認した。

この点に関しては、むしろMPM自身から異なる見方が示されている面もある。例えば、今回の「基本的見解」の中にも、需給のタイト化にも関わらず価格が上昇しないリスクに関する言及がみられる。その中には、米国と同様に「完全雇用」の下でも賃金上昇が予想外に小さいことが構造要因に基づく可能性や、公的サービスの価格や家賃の設定が需給状況に対して非弾力的である可能性など、興味深い要素が指摘されている。

もちろん、黒田総裁は、これらの懸念にも関わらずインフレ目標の早期達成に対するコミットメントを改めて強調した。加えて、国債買入れの増加に対する技術的な限界への懸念に関しても、BOEによる国債保有シェアが日銀に比べてはるかに大きい点に言及しつつ、否定的な見解を示した。

コミュニケーション・ポリシー

黒田総裁の発言は、新興国経済に対する懸念がある下でも内需の堅調さを強調した点で、先のFOMC声明文と近い印象を与える。ただ、先に見たようにMPMとしてもダウンサイドリスクを意識しているのであれば、ドラギ総裁のように、むしろ先行きのリスクを強調して追加緩和期待を維持することで、financial conditionの面から緩和効果を補強する選択肢も存在する。

黒田総裁がこうした種類のコミュニケーション・ポリシーを採用しない理由が、経済や物価のメインシナリオの蓋然性に対する強い自信にあるのであれば、それは自己完結的な議論であるし、合理的でもある。ただ、もしもそうでない理由-例えば、追加緩和に伴う為替相場への影響に関する国内外の様々な議論-によるのであれば、外部の観察者には不可視であるだけに、コミュニケーション・ポリシーは一層難しくなるであろう。

Writer’s Profile

井上哲也Tetsuya Inoue

金融イノベーション研究部
主席研究員
専門:中央銀行、国際金融

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注目ワード : 異次元緩和

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