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ECBのドラギ総裁による記者会見-Weak form

2013年07月05日

はじめに

ECBは先月に経済見通しを下方修正したし-センチメント指標には改善の兆しもあったが-失業や小売販売といった"hard data"の悪化が続いた以上、市場が期待したように「追加緩和」はいわば時間の問題であった。その上で、ECBの置かれた当面の制約の下では、forward guidance(時間軸政策)と利下げバイアスの表明から成る今回の措置は、現実的に最大限の措置と理解すべきなのであろう。この点も含め、本コラムでは今回の「追加緩和」の内容と意味合いを検討したい。

Weak formのforward guidance

ECBは、今回の声明文の中で2つの大きなメッセージを1つの文で表現した(声明文の第2パラグラフ・下から5行目の文)。第一に、政策理事会は、政策金利が"extended period of time"に亘って低位に維持されると予想するということである。第二に、この低位という具体的な中身が、現在の金利ないしそれ以下であるとした点である。この2つを組み合わせると、ECBの政策理事会は、少なくとも現行の政策金利(50bp)を維持し、状況によってそれ以下に下げることも予想していることを意味する。

まず、この表現をみて、かつてのFRBによるforward guidanceを思い出される方も多いことであろう。実際、FRBが絶対時間ないし経済指標(失業率とインフレ率)による条件付けを行う前のforward guidance(2009年4月~2011年6月の声明文で示されていたもの)は、今回のECBの声明文による表現と極めて良く似ている。

その上で、ECBが新たに採用したforward guidanceの場合には、上記のように追加利下げの可能性も同時に示唆されているという点で、ある種のイノベーションを含んでいる。つまり、当面の政策金利に関して、アップサイドはなくダウンサイドのみがあるという意味で、いわば"Draghi Put"とでも呼べるものを提示した訳である。

追加利下げに対する技術的課題は、corridorの運営とマイナス金利の適否である。現在のcorridorは50bpの政策金利を中心として100bpであるので、マイナス金利に達するには若干の利下げ余地も残っている。まずはこれを活用するのであろうし、ドラギ総裁が記者会見で表明したように、マイナス金利もアプリオリに否定する訳ではないと言うスタンスであろう。ただ、現実には銀行貸出への悪影響と言った副作用もあるので、実行には過度なユーロ高のような事態が必要となるように見える。

ここまでが、今回の「追加緩和」の内容であるが、声明文にはもう一つ注目すべき内容がある。それは、ECBの政策理事会による先行きの政策金利に対する「予想」が、(1)中期的に低位なインフレ予想、(2)実体経済全般の弱さ、(3)金融面での動意の欠如、に基づくものであると述べている点である(声明文では、第2パラグラフ・下から4行目の文)。これは、ECBが今後の政策運営において、これらの要素に注目することを意味している。

そんなことは当然過ぎて情報価値がないと思われるかもしれない。しかし、この文がforward guidanceを表明する文の直後に置かれていることに注目すれば、一般論を述べているというより、ECBがforward guidanceをこれらの条件に基づいて運営すると述べているものと理解すべきであろう。

日米のように特定の指標の水準に紐付けるforward guidanceを見慣れた我々には具体性を欠くように思えるし、その意味では確かに"weak form"である。ただし、ECBが手本にしたと思われるFRBのケースも、やがて絶対時間による条件付けがなされ、最終的にはデュアルマンデートとの具体的な紐付けがなされるに至ったことを思いだすことも必要かもしれない。ECBもEU委も予想するように、欧州の景気後退が長期化する懸念があるとすれば、ECBのforward guidanceもこれから徐々に強化と具体化の道を辿ることも展望される。

「非伝統的政策」への当面の制約

筆者は、ECBが「時間軸政策」という選択肢を採ったこと自体には合理性があるように思う。なぜなら、以前の本稿でも指摘したように、2011年末から2012年春に実施した3年物LTROの期前返済が予想以上に進捗し、いまや超過準備が2000億ユーロ近くまで低下し、短期金利(forward rate)が反応し始めていたからである。中短期の金利を抑制したり、ボラティリティを下げたりする上でforward guidance(時間軸政策)が有効であることは、日本の例が実証している通りである。

その上で、先に述べたように、ECB自体が景気の先行きに関して悲観的になったのであれば、もっと強力な追加緩和を実施しても良いはずという議論が市場で聞かれるのももっともなことである。残念ながら、当面のECBにとっては、様々な意味で制約が存在するということであろう。

おそらく最も大きいのは、9月に連邦議会選挙が行われるドイツとの関係であろう。現政権にとっては、選挙前にECBが「非伝統的な金融政策」を採用し、潜在的コストに対する懸念をドイツ国民に引き起こすことは避けたいと思っているであろう。同様に、ECBに限らず欧州の国際機関にとっては、ユーロ統合を推進する現政権を苦境に陥らせることが得策でない点は十分に理解されていることであろう。

より根本的には、「非伝統的政策」の代表となった感のある国債買入れを行うことに対しても、クレジットの面で均一で大きな国債市場が存在しないといった問題に加え、財政危機から日が浅い欧州の場合、ECBによる大規模な国債買入れが、市場の財政ファイナンスに対する懸念を誘発しやすいといった循環的な問題も挙げることができる。

その意味では、ドラギ総裁が以前に示唆したように、ECBが域内の中小企業向け貸出債権(ないし、その証券化商品)を買い入れる選択肢の方が-潜在的コスト負担の懸念はあるが-域内銀行の貸渋り対策の重要性も含め、現実的手段であったかもしれない。皮肉なことにこの案は、ECBがパートナーとして挙げたEIBが、自ら600億ユーロの中小企業向け資金供与に関与することを先月末のEUサミットで表明しただけに、いったん背後に退いた印象もあるが、再検討する機会はまだありそうである。

おわりに

今回の記者会見に臨んだドラギ総裁の表情は幾分明るかったし、心なしか声にも張りがあったことを思うと、ようやく追加緩和を実現させたことへのある種の達成感があったかもしれない。しかし、残念ながら筆者には、今回の政策理事会がECBによる「非伝統的政策」のイノベーションの始まりとなるように思えてならない。

Writer’s Profile

井上哲也Tetsuya Inoue

金融イノベーション研究部
主席研究員
専門:中央銀行、国際金融

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