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FRBのバーナンキ議長によるジャクソンホールでの講演

2012年09月03日

はじめに

バーナンキ議長は、今回のカンザス連銀コンファレンスでの講演においても、具体的な政策運営に言及した訳ではない。それでも、金融危機後の非伝統的政策- 大規模な資産買入れを含む-の効果を強調し、景気情勢如何で新たに実施する用意がある点を明示した点は、世界の金融市場にインパクトを持つのであろう。

ただ、この講演には長い目でみて重要なメッセージも込められているので、本稿はそちらに焦点を当てて検討することにしよう。

メッセージ1:資産買入れに伴うコスト

講演テキストで最も印象的なのは、非伝統的政策の中で資産買入れを念頭に置きながら、潜在的なコストに関する議論に比較的多くの紙面を割いている点である。

すなわち、バーナンキ議長は、大規模な資産買入れによって生じうる主なコストを、(1)市場流動性の低下など市場機能の低下、(2)FRBに対する 信認の毀損、(3)長期金利低下による投機的行動の助長、(4)FRBにおける損失の発生、の4つに整理した上で、これらの懸念について否定的な見方を示 した。

すなわち、(1)は米国債やMBSのように市場流動性の高い場では生じていないし、(2)に関してもインフレ期待が安定しているだけでなく、FRB が有効な引締め手段を有すると指摘した。さらに、(3)についても、金利低下によって景気が浮揚すれば金融システムの安定性が増すだけでなく、FRBは今 やFSOCを通じて金融システム安定に直接的に貢献しうることを強調したほか、(4)に関しても、FRBの保有資産から生じる利益によって十分にオフセッ トしうるとの解釈を示した。

その上で、これらのコストは"manageable"であると結論づけ、資産買入れの再開に基本的に前向きであることを示唆した訳である。

ただ、バーナンキ議長によるこれらの主張を読んだ後に何となくすっきりしない点が残るとすれば、その最大の理由は、理屈付けの多くに「これまでは」 というimplicitな条件が付されていることによるのではないだろうか。確かに、市場流動性の副作用も、FRBに対する信認も、民間投資家による投機 的行動も、FRBが抱える国債の損失も、これまでは深刻なリスクではなかった。しかし、「これまで大丈夫であった」ことだけを理由に、これまでのことを続 けるというのでは、金融危機前の民間投資家と変わらないことになる。

資産買入れは大規模でないと意味がないのであれば、コストの変曲点も意外に近いかもしれない。今回の講演を前に、米国の市場でいわゆる"QE3"に慎重な見方が少なくなかったことには、こうした感覚も関係しているようにもみえる。

メッセージ2:資産買入れの波及メカニズム

バーナンキ議長は、資産買入れが実体経済に効果を及ぼす際の波及メカニズムについても、これまでの説明を踏襲した。つまり、大規模な資産買入れは、金融資 産同士の低い代替関係を通じて、他の金融資産の価格を上昇させ、結果として生じる金利の低下が実体経済を刺激するというものである。

ポートフォリオ・セレクションの理論の説明部分では、カンザス連銀のコンファレンスがもともとリサーチ色の強いものであることも意識されてか、トー ビンやフリードマン、 モディリアーニといった大先生の業績に対する言及もあり、まさにオーソドックスな経済理論に基づく考え方であることが示唆されている点は興味深い。

ただ、今回の講演のタイトルが正に示すように、金融危機後の金融政策にとって難しい課題は、政策の波及メカニズムが平時とは異なりうる点であろう。 実は、筆者は、バーナンキ議長が今回の講演でこの課題を詳細に論じるとともに、ミクロ面からの解決策を示すことを期待していたのであるが、テキストで言え ば8ページ等に関連する議論があるだけで、期待は大きく外れた。

今になって考えれば、その理由は、米国では少なくともマクロ的には銀行貸出も起債も堅調であり、クレジット・クランチのような形で政策の波及メカニ ズムが毀損する状況は(欧州とは違って)見られないことかもしれない。その上で、今回の講演テキストの前半から感じられるのは、ミクロ的な介入手段の活用 を2007~8年のように米国の危機が深刻であった局面での政策と位置づける考え方である。つまり、バーナンキ議長は、危機対策としてはミクロ的手段を活 用しても、危機後の世界で金融政策の波及を支える手段として使うことには必ずしも積極的でないことが伺われる。

この点は、日英の中央銀行がミクロ的な政策手段を活用していることと対照的であるだけでなく、米国でも中小企業のように銀行与信に依存しやすい領域が景気回復に取り残されていることを考えると興味深いし、その理由をもう少し掘り下げる必要があろう。

メッセージ3:資産買入れに慎重な向きへの回答

資産買入れに関して、バーナンキ議長は、本稿の最初の節でみたように潜在的なコストに各々否定的な見解を示しただけでなく、メリットを積極的に論じている。

これまでは資産買入れ-特に"QE2"-の効果に関する定量的な議論が乏しいとの議論があったことも意識してか、バーナンキ議長は"QE1" と"QE2"のそれぞれを対象として、米国債の利回りの低下幅に関する実証分析の結果をいくつか提示している。加えて、今回の講演では、金利の低下を通じ た実体経済への影響についても定量的な推計結果を示している。つまり、これまで2回のQEは、(それらを実施しなかった場合と比べて)米国のGDPを3% ポイント引き上げ、累計で200万人を超える雇用を創出したとのシュミレーション結果に言及している。

バーナンキ議長によるこれらの主張は、もちろん、本稿の冒頭にみたように、今後の景気情勢如何で追加緩和に踏み切ることをアピールする意味を持って いる。一方で、筆者には、こうした主張が国債買入れの再開に慎重な向きを説得する努力の一環でもあるという印象をぬぐえない。カンザス連銀のコンファレン スの直前に共和党大会で正副の大統領候補が確定し、これらのチームからFRBの政策を介入主義的として批判する声が聞かれるようになっているだけに、尚更 そう思えてしまうのかもしれない。

最近の米国の世論調査が両党候補の支持率の拮抗を伝えているだけに、バーナンキ議長も、残された任期を共和党政権の下で送る可能性を真面目に考える べき状況になったと考えられる。だとすれば、バーナンキ議長による資産買い入れの正当化に関する議論は、FRBとしての牽制球という意味も込められている のかもしれない。

Writer’s Profile

井上哲也

井上哲也Tetsuya Inoue

金融イノベーション研究部
主席研究員
専門:中央銀行、国際金融

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