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トリシェ総裁の記者会見から見えたこと(その4)

2011年10月07日

はじめに

ECBの政策理事会後にトリシェ総裁が記者会見を行うのも、任期終了を前に最後となった。今回はベルリンで開催されたこともあり、ホストであるブンデスバンクのヴァイドマン総裁が、冒頭にトリシェ総裁の功績を称える場面もあった。しかし、欧州の金融市場のストレスが高い中では当然ではあるが、今回の政策理事会も、カバードボンド買入れの復活を含む追加対策を決定するなど、最後まで実質的な内容を伴うものであった。そこで、いつものように中長期的な視点から、ポイントを検討してみることとしよう。

ポイント1:追加対策の趣旨

域内国のソブリンリスクに対する不安が高まる中で、金融機関の資金調達に関するストレスが続くことが懸念されている。それだけに、ECBが、MROの全額割り当てや同じく全額割り当てによるLTROの実施といった現行の措置を、本年末を越えて実施することも相応に予想されていたと思う。しかし、今回発表された追加対策は、(1)これらの対応を来年6月まで継続する、(2)12ヶ月物のLTROを復活させる(本年10月および12月)、という点で予想を超えて踏み込んだ内容となった印象がある。加えて、カバードボンド買入れの復活(本年11月~来年10月にかけて400億ユーロを実施・詳細な内容は後日発表)という重要な措置も加えられていた。

会見でも、最初のMNIの記者や2番目のCNBCの記者が、これらの対応策の趣旨を質したのに対し、トリシェ総裁は、物価安定のために政策金利を操作する"standard measure"とは異なり、これらの"non-standard measures"は、金融政策の波及経路を維持することが主眼であると説明した。これはトリシェ総裁が一貫して主張してきた立場であり、それ自体新たなものではない。

しかし、NCBのデータなどが示唆するように、3ヶ月物のLTROなどは、既に、債務問題国を中心とする金融機関に対する事実上のLLRとなっている面がある。従って、12ヶ月物LTROを含めて今回強化されるオペも、同様にLLR的な性格を帯びることが予想される。さらに、復活するカバードボンド買入れについても、2008~2009年のように市場機能が低下して発行自体が難しい局面が生じた訳でないとすれば、市場機能を回復させるという信用緩和的な視点よりも、金融機関による中長期の資金調達を直接にサポートするものと受け止められやすい。

もちろん、LLRは中央銀行に固有の役割であり、ECBが市場のストレスに対して発動したとすれば、その判断自体は尊重されるべきであると思う。ただ、12ヶ月を越える「緊急」的な資金供給が中央銀行のマンデートに属するかどうかは微妙であるし、ECBが来年6月までの対応を一気に決定したことは、市場に対してECBの悲観的な見通しを印象づけることも考えられる。トリシェ総裁も、年末越えまでの流動性リスクを抑制するところまで決定し、その後のレビューを後任のドラギ氏に委ねても良かったかもしれない。

ポイント2:透明性向上の手法

トリシェ総裁が、本日の冒頭説明の中で個人的回顧として述べたように、政策理事会の議論を踏まえたIntroductory Statementの即時公表と当日の記者会見は、トリシェ総裁の前任者であるDuisenberg総裁の時代には"bold innovation"であったが、今では中央銀行の"state of the art"となっている。

おそらく、こうした発言に触発されたのであろうが、本日の4番目の記者は、ECBも議事要旨を公表してはどうかという興味深い質問を投げかけた。トリシェ総裁は、(1)政策理事会での議論の方向性はIntroductory Statementの中に適切に織り込まれていると指摘しつつ、(2)米英日と異なり、17ヶ国の国民に適切に通貨を供給する上では現状の枠組みも十分機能していると回答した。このうち(2)について、筆者の言葉で具体的に敷衍すると、議事要旨を公開すると、各NCB総裁が個々の議題にどのような考えを持ち、どのように政策決定に関与したかが判別しやすくなってしまうことが、NCB総裁の独立性を損ない、ひいてはECBによる金融政策の独立性にも影響を与えるという懸念である。各NCBの総裁であっても、ECBの政策理事会に参加する際にはEMU市民として「332百万人」のために議論し、意思決定に関与することが求められるが、各国政権は各NCBの総裁の任命者であるだけに、自国の総裁に自国の利益を反映した行動を求めるリスクが常に存在する訳である。

トリシェ総裁による回答の背後にある上記のようなECBの考え方について、アプリオリにその適否を判断することは難しい。また、その適切さは、 ECBを取り巻く環境によって変化しうる。例えば、設立直後のECBでなく、金融危機前のECBであれば、政治からの独立性が確立しつつあるという意味で、議事概要の発行に係るリスクにそこまで神経質にならなくても良かったかもしれない。いずれにせよ、この点も後任のドラギ氏に対する宿題として残される。

ポイント3:中央銀行への信認

記者会見の冒頭で、ヴァイドマン総裁がトリシェ総裁の最大の功績として挙げたのは、物価の安定を通じてユーロという通貨に対する信認を確立したことにあった。前回の記者会見でトリシェ総裁が自慢したように、ECBの下で物価のパフォーマンスが良好であったことには反論の余地は少ないように思う。

加えて、トリシェ総裁が、本日7番目のFTの記者による質問への回答の中で強調したように、物価安定の下での通貨としてのユーロに対する信認と、ユーロ圏の金融システムに対する信認とは、基本的に別なものである。トリシェ総裁の任期満了に関する多くの報道が指摘するように、欧州危機によってユーロへの信認が失われたという議論は、両者を混同している面がある。

ただ、「通貨としてのユーロへの信認」を「国際通貨としてのユーロへの信認」と置き換えると、ユーロ圏の金融システムの信認との距離はずっと近くなる。すなわち、ソブリンリスクや金融機関の資金調達に対するストレスの高まりを映じたユーロ圏の金融システムへの信認低下が、ECBによる長期で大量の資金供給を誘発し、その結果、国際通貨としてのユーロへの信認を損ねている面があるからである。同時に、ECBによる低金利政策が結果としてユーロ相場を圧迫することが、数少ない景気刺激策として暗黙のうちに意図されていたとすれば、国際通貨としてのユーロへの信認を景気のために「切り売り」していたとも言える。

現在のユーロ円相場が10年前の水準であるという事実をみても、残念ながら、「国際通貨としてのユーロへの信認」に関しては、トリシェ総裁の在任期間を通じた貢献が失われた状況にある。もちろん、それでも、トリシェ総裁の下でECBが確立したプレゼンスが失われることはないし、「国際通貨としてのユーロ」自体についても、紆余曲折はあろうが、枠組みの強化へ向かって緩やかながら歩みを続けるように思われる。

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