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バーナンキ議長が成し遂げたことと成し遂げなかったこと

2011年08月29日

市場との対話

Kansas City連銀がJackson Holeで毎年夏に開催するコンファレンスは、国内外の中央銀行や学界の著名なエコノミストを招待して開催されるもので、従来はacademicな色彩が強かった。それでも、バーナンキ議長による今回の講演が世界中の注目を集めたのは、もちろん、昨年の同じ場でいわゆる「QE2」の実施が示唆されたことによる面がある。しかし、それ以上に重要と思われるのは、8月のFOMC声明文が、「時間軸政策」の実施に止まらず、一段の追加緩和に柔軟な姿勢を示唆していたからである。

バーナンキ議長からすれば、直ちに追加緩和するとは言っていないし、追加緩和に進む以前の課題として、3票の反対票が投じられた「時間軸政策」の効果と副作用について感触を得たいと思うであろう。一方、金融市場からすれば、その後の経済指標が小売売上高(7月分)以外は芳しくなく、センチメント関連の指標が悪化したことを踏まえて、追加緩和を期待するのも不合理ではない。さらに、バーナンキ議長が金融危機後の対応に関して、常にpro-active であるべきことを強調し、そうしたtrack recordを残してきたことを考えれば、そうしたスタンスの再現に期待が高まるのも無理はない。

バーナンキ議長は、この避暑地を訪れるというのに心安らかではなかったであろう。もちろん、Blinder教授が論じてきたように、中央銀行は市場からも「独立」であるべきである。なぜなら、中央銀行が市場に追随し続けると、市場の均衡が不安定化し、資産価格インフレとその大幅な調整といった事態を招くからである。ただ、このところの金融市場は、期待の剥落によるショックを受け入れうるほど安定してはいなかった。米欧の金融経済面での不安定要因は殆どそのまま残っており、しかも、市場の不安定性が高まれば、住宅問題の深刻化等を通じて景気回復をいっそう遅らせるだけに、そのtriggerを引くことを避けたいと思うのは当然である。

その意味では、バーナンキ議長が、追加緩和に関する具体的な言及を避けつつも、金融市場に大きな調整を生じなかったのは、コミュニケーション・ポリシーとして、むしろ大きな成功であったと言える。メディアが見出しに苦労したと想像されるこの講演原稿も、例えば、経済見通しの中で、好材料に関する説明を悪材料に比べて倍以上の長さで丁寧に説明する(テキスト3ページ)とか、中長期的な成長基盤は頑健である点を再三強調するといった工夫がみられる。また、講演日が迫る中で、米国内の著名なエコノミストから、この内容をほぼ正確に予想するコメントが数多く聞かれたことで市場の期待を冷やした点にも、 FRBによる苦労の跡が想像される。

その上で敢えて言えば、市場は、9月のFOMCにおける追加緩和に期待を残したことで安定を維持した面があることも否めない。実際、講演でも(同7 ページ)、9月会合を2日間に延長し、経済情勢と政策オプションを議論すると述べている。この意味では、もちろん、バーナンキ議長による市場との対話を巡る苦労はまだ続いていく。

経済見通し

バーナンキ議長は、今回の講演で、FRBによる現在の経済見通しがどのようなものであるかを説明することが望ましかった。あまり良い例ではなくて恐縮であるが、かかりつけの医者に行った際に、医者から「どうも症状が悪くなってきたようなので、今回からは強い薬に変える」と言われれば、そもそも心配になるし、その理由を詳しく聞きたいと思うのは当然である。8月のFOMC声明文で、景気回復が「かなり弱い(considerably slower)」と指摘された一方で、具体的にどの程度なのかを説明されていない我々は、上の例の患者と同じように不安な気持ちになってしまうし、 double-dip recessionのような悲観論が台頭するのも仕方ない面がある。

原則を尊重すると、経済見通しの修正とこれに関するバーナンキ議長の説明は11月のFOMCまで待つ必要がある。確かに、経済見通しを正式に修正するのは多くのエコノミストが関わる大作業であろう。また、以前のバーナンキ議長の講演等が示唆するように、FRBによる経済見通しは、今や実体経済に関する分析に止まらず、金融市場や金融システムに関する分析も加味したものに変わっているとすれば、(それ自体は望ましい変化ではあるが)一段と複雑で時間のかかるプロセスとなっているのかもしれない。

それでも、8月のFOMC声明文では、経済見通しを前提に2013年半ばまで超低金利政策を続けるとしている以上、少なくとも暫定的な見通しは存在するはずであり、それを説明することは過度な不安の払拭に繋がる。今回の講演のタイトル("The Near and Longer-Term Prospects for the US Economy")をみて説明を期待したのは筆者だけではないであろう。バーナンキ議長は、短期的な経済動向に関する好材料を強調することで、直ちに景気後退に陥るといった極端に悲観的な見方にはないことを示唆したが、それ以上の具体的な説明を避けた理由が、経済の先行きに関する高い不透明性を強く意識したためではないことを祈りたい。

ポリシーミックス

市場の期待に拘わらず、バーナンキ議長自身が今回の講演で強調したかった点は、金融危機後の経済政策の中で金融政策の位置を再調整するとともに、他の経済政策にもっと役割を果たすよう促すことであったと思われる。

金融危機の渦中では、大量の資金供給を通じて、金融機関の資金繰りを支え、市場の不安心理を沈静化することは中央銀行にしかできず、最大限活用すべきことは当然である。しかし、米欧だけでなくかつての日本の経験も含めて明らかになったことは、金融危機後に過剰債務や過剰な経済資源が残る下では、マクロ政策だけで経済を牽引しようとしても持続可能でないという厳しい現実である。単に効果がないだけであれば良いが、経済政策全般への不信を招いたり、膨大な財政債務を残したりする訳である。

実際、12ページ強あった今回の講演テキストのうち約5ページを割いて、バーナンキ議長は、高齢化への対応や技術革新へのサポート、労働の質の向上や経済インフラの更新といった、米国の成長力を維持する上で重要な幅広い政策課題を提示すると同時に、金融政策や財政政策はその間の金融経済の安定性の維持に徹するべきという議論を展開している。その背後で、金融危機後にpro-activeであるべき対応は危機対策であって、必ずしも金融政策ではないことへの理解を求めているようにも感じる。

その上で筆者が聞きたかったのは、住宅問題の解決策である。住宅価格の下落は、個人消費の低迷や中小企業を中心とする雇用の不振につながり、負の連鎖となって米国経済を蝕んでいる。従って、米国が自律的な成長を回復する上で、住宅資産あるいはその裏側の家計債務の調整を円滑化することの意味は大きい。金融システムに関わる問題であるにも拘わらず、バーナンキ議長が、今回、具体策を示さなかった理由が、オバマ政権が具体策の検討を進めているためであることを期待するばかりである。

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