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「量的緩和」の後継者

2011年08月22日

「量的緩和」の効果

市場関係者やメディアの間では、日銀の白川総裁は「量的緩和」を好まないとされている。それでも、その白川総裁自身がかつての「量的緩和」の効果と認めているものが存在する。それは、大量の資金を供給することで金融機関の資金繰りを安定化させ、金融システムの安定を維持したことである(例えば2008年 12月の記者会見を参照されたい)。その証拠を一つだけ挙げるとすれば、毎期末(9月末と3月末)にかけてみられた短期資金の逼迫と金利の高騰-大手企業の経営破綻がメインバンクの経営危機を招くという懸念を背景に、金融機関が資金確保に走ったためである-は、2001年3月の期末前に導入された「量的緩和」の下で解消されていった。

金融システム安定策としての「量的緩和」は、中央銀行が起動しうる点でも優れている。この点は、むしろ2007年以降の金融危機でポイントとなった。金融機関が起動する資金供給策-典型例がdiscountwindowである-の場合は、金融機関は「風評リスク」を恐れて利用しにくくなるため、金融危機の中で機能が低下したからである。この"stigma(不名誉)"の問題に対応するため、米欧の中央銀行がオペ形式での資金供給に転じたことは記憶に新しい。

QE2との環境の違い

日本の「量的緩和」も、当初の目的は物価と景気の下支えにあったが、日銀は早い段階から金融システム安定の効果に言及していたし(例えば、2001年12 月の速水総裁による講演を参照)、市場にもこうした認識があったとみられる。これに対し、少なくとも米国のQE2については、FRBがその目的を中長期金利の低下を通じた実体経済活動の刺激であると説明しているだけでなく、市場でも金融システム安定に関する議論は殆ど聞かれなかった。

こうした相違の背景には、金融危機の局面が異なる点があろう。日本の「量的緩和」の導入時には金融システムに対する懸念がなお強く、約2年後の大手行に対する資本注入を経て、不安心理が解消していった。これに対し、米国でのQE2の導入は、TARPによる公的資本の注入やストレステストの実施とこれに伴う自己資本増強の1年以上後である。既に、大手金融機関の収益は良好であったし、マクロ的には、不良資産償却がピークアウトする一方、金融機関の自己資本は金融危機前の水準を回復していた。

同時に、政治的には、FRBが危機対策と距離を置かざるを得ない状況にあった点も影響したかもしれない。FRBは、金融危機に伴う各種の金融市場の機能不全や一部セクターの資金繰り逼迫等に対して、多様な危機対策を実施したが、その殆どを2010年2月までに廃止した。主たる理由は、上に見たように金融システムへの不安が沈静化していったことであるが、FRBによる危機対策への批判が影響したとの見方も強い。FRBが個別金融機関の救済に関与したことを端緒とする批判は、危機対策に"backdoorbailout"という誤ったレッテルを貼り、例えば、危機対策の根拠となる連銀法13条の3も Dodd-Frank法の一部として改正された(財務長官の事前承認や議会への事後報告等が必要となった)訳である。

資金供給の方策

話を現在に戻すと、一部の金融機関によるドル資金調達が難しくなったとの報道が目立つ。金融機関の資金繰りを正確に観察するのは中央銀行にも難しいので、市場の噂は非常に慎重に受け止めるべきである。それでも、こうした見方があること自体、FRBには看過し得ない事態である。不安心理が金融機関の資金繰りに影響し、それが金融システムの不安定化に繋がることを、大量の資金供給を通じて防止できるのは中央銀行だけだからであり、その意味でこの仕事は中央銀行にとって金融政策と同じくらい大切である。

FRBが、資金供給が必要と判断した場合、仮に海外金融機関の資金繰りも難しくなっているとすれば、中央銀行間のドル・スワップを用いて、母国の中央銀行がこうした先にドル資金オペを行うことができる。この枠組みが米国と主要国との間で現在も利用可能であることは心強いが、必ずしも万能ではない。先週のECBによるドル資金オペを巡る報道を見る限り、市場に不安心理がある下では、ここでも"stigma"が生ずるリスクは残る。ドル資金オペが金融危機時のように活発に利用され続けていれば良かったが、金融システムの安定化に伴って利用されなくなっていたことが、現時点での利用への過度な注目を生じている印象を受ける。

"stigma"が深刻であるとすれば、中央銀行側が起動しうる資金供給策としてのTAFの復活("TAF2")も考えられる。実際、金融危機の中でFRBがTAFを導入した理由はこの点にあったし、その後の情報開示が示すように、TAFは所期の効果を発揮した。ただ、TAF2にも課題は残る。第一に、資金繰りが難しい先が海外の金融機関である場合、担保適格である米ドル資産を十分保有しているかという点である。この点では、上に見たドル・スワップ+母国中央銀行によるドル資金オペが優れている。第二に、FRBの危機対策への批判を抑えうるかという点である。TAFは、オペ形式で広範な先を対象に実施されるので、「個別金融機関の救済」という評価は当たらない。しかし、TAFはdiscountwindowと同じ連銀法10条Bを根拠とするだけに、先に見た危機対策への批判を考えると、復活には簡単ではない面もあるかもしれない。

資金供給策としてのQE

このように考えると、実は、QEによって資金供給を行うことも選択肢の一つとなりうることがわかる。ドル・スワップ+ドル資金オペとの比較では、QEは中央銀行側が起動しうる資金供給策であるという優位性を持つ。また、TAF2との比較では、QEは買入れ対象資産の点で(借り手が米国債を十分保有するかという)同じ問題を抱えているが、文字通りマクロ的な対策として、個別金融機関の救済という性格が一段と低いという優位性を持っている。

FRBとしては、2回の国債買入れを通じて膨張したバランスシートの規模を当面維持することが、ストックとしての資金供給を保証する意味で、既に金融システム安定に寄与していると主張したいかもしれない。しかし、市場に不安心理が広がると、資金の出し手は資金を抱え込み、資金の取り手は既存の資金調達が償還を迎えるにつれて資金需要が増えるので、市場に新たな資金を供給することの意味は決して小さくないと考えられる。

資金供給策としてのQEの課題のうち、インフレを生ずるリスクも当面は少ないし、バランスシートの健全性の点で長期国債をこれ以上買うべきでないとすれば、TBなどの短期資産にシフトすることも考えられる。おそらく、より厄介なのは、QEによる資金供給が資産価格の支持策("BernankePut")と誤解されることであろう。株価の下落と金融市場のストレスが同時に起こりやすいからである。これを防ぐ方策の一つは、新たなQEが「金融政策でもあり金融システム安定策でもある」と説明することなのかもしれない。そうなれば、この政策対応は、最早FRBのいうLSAPなどではなく、本当の"QuantitativeEasing"となる訳である。

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